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ことの葉暦

leafstar.exblog.jp

Angels&Demons

最近読み返しています。
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ダン・ブラウンの「天使と悪魔」。
人混みが苦手なので、映画を観に行く約束はほとぼりも冷めるだろうちょっと先に友人としているのですが、もう何年も前に読んだきりなので、備えて復習中。
一冊だけだと画的にさみしいので、「ダヴィンチコード」とそのネタ本とされる「レンヌ・ル・シャトーの謎」も一緒に撮ってみました。それと、Oxford English Dictionary。洋書を読むときのお供です。
「ダヴィンチコード」がヨーロッパを席巻していた頃、私もたまたまロンドンにいて、この本は、ナショナルギャラリーの書籍コーナーで買いました。(例えば阿修羅像なんかがカギになるミステリー小説を京極夏彦さんあたりが書いて大ヒットしたとして、上野の国立博物館でその文庫本が買えたりするかな??・・・と考えると、やっぱりイギリスって楽しい国です。)勢いでテンプルやウエストミンスター寺院にわざわざ行ってみたりしていましたが、もし今ローマに行く機会が持てたら、やっぱりヴァチカン周辺やナヴォーナ広場辺りをうろうろしてしまいそうです・・・。
たしかに、アカデミックなポジションにある人たちにとっては、手放しで楽しむワケにもいかないんだろうなあ・・・と思われるところも多々あるし、ハリウッドで映画化されることを見越して描かれたようなシーンも満載(苦笑)、なんですが、個人的にはかなり楽しませてもらっています。シンボルにこめられた世界に遊ぶ、というのは星占いの世界にも大いに通じるところがあって、そういう世界の豊かさに、たくさんの人が親しみを持ってもらえるとうれしいなあ、とも思います。



「天使と悪魔」は、「宗教と科学の対立」についてのお話、と簡単に説明されているみたいですが・・・。
人間の世界の認識が二項対立に依っている、というのはよく言われる説です。天使と悪魔。善と悪。物質と反物質。秩序と混沌。平和と混乱。破壊と生成。光と闇。信じることと信じないこと・・・。
相対していながら、互いの果てに存在しあうことを認めあってきたものたち。一方がなければ、もう一方を知ることもまたできないものたち。
「宗教」と「科学」もまたそうなのかというと、そんな風な気もするし、ちょっと違うような気もします。
「宗教」と「神」がイコールではないことが、ポイントだと思います。ある宗教に帰依している、ということと、神様を信じている、ということは、多分同じことではないのです。深くて難しいお話で、説明し尽くすことは、できないけれど。

ただ、ガリレオがそう思い、望み、願っていたとされるように、優れた科学者であることと、神様を信じていることは、完璧に両立する、と私も思っています。科学と宗教はただ対立し、相容れないものではない。この世界を、神様を語る言葉を共に豊かにできるものなのだと。そしてそういう人を、知っています。
彼は大学のそのセクションのトップという地位にいる物理学者で、電子顕微鏡の研究をしていました。そして旅先でも日曜日のミサへの参加を欠かさない、敬虔なカトリックでした。それでいて、見えない・聞こえない・触れられない・言葉にできない、けれどもあるような感じがするなにかを受け容れて愛でることがちゃんとできる人でした。
「子供のように神の国を受けいれる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
マルコによる福音書に記された、イエスの言葉です。
「僕の100万ドルのおもちゃ」
彼は自分の研究室にある電子顕微鏡のことを、いつもこう呼んでいました。そのおもちゃで、子供のように目を輝かせて、彼は毎日世界を眺めていました。
科学が、人間が、ましてや自分がスゴイことを証明するために、科学者は科学を追及するのではないんだな、と思いました。この世界が見事なことをよろこぶために、科学者は科学を追及するんだな、と思いました。

「無知は罪だ。」と言われます。その一方で、「全ての理由を知りたがるのは、人間の罪だ。」とも言います。
アダムとイブが食べたのが知恵の実だったとしても、知ることを求めることはおそらく罪ではない、ような気がします。その先に「不可知」があることを知り、よろこびをもってそれを受け容れるのなら。
「人間の最古にして最強の感情は恐怖であり、最古にして最強の恐怖は未知への恐れである。」
アメリカの小説家ラヴクラフトの言葉です。知らない・分からないということに対して、人間はなかなか子供のようにただ目を輝かせることはできないものです。どうしてもやっぱり、戦ったり逃げたりしてしまいがちです。けれど、「愛は恐れと共にいることはできない」のです。恐れを手放せば、愛は入ってくる。そのために、知るが足ることを知ることは、とても大切なことだと感じます。

優れた科学者でいて、神様がいることを愛していた彼は、自分のキャリアが実を結び、熟し始めようとしていた時に、その先に死が両手を広げて待っていることを受け容れる他にできることがない病を得たことを知りました。
「神様が僕を呼んでいるんだ。」・・・と、言っていました。戦ったり、逃げたり、したかっただろうとも思います。まるで恐くないはずは、なかっただろうと思います。ステーキに今までないぐらい塩をかけていました。ささやかな抵抗だったんだと思います。精一杯の、絶望の主張だったんだと思います。
でも、神様を豊かに語るに充分な言葉を知っていた彼は、その呼ぶ声を受け容れて、静かに逝きました。科学者として生きたことと、神様を信じたことの両方が、彼をちゃんと安らかにしてくれていたことを、私は今も、願っています。

神様を愛した科学者にささげる香り
   サイプレス 2滴
   エレミ 1滴
   ベルガモット 2滴
   ゼラニウム 1滴
by leaf-child0802 | 2009-05-28 15:11 | 本棚
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