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ことの葉暦

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いまひとたびの、奈良へ 本編 その1

とっても奈良っぽい風景。
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「春日さんへのお参りだけは済ませなくちゃ!」と、ひたすら参道を歩く・・・という感じの訪問がたいていだった、ここ数年・・・。
けれど、いかにも奈良っぽい、ほっとできるこんな風景には、寄り道をしちゃえる気分でいないと、ちゃんと出会えなかったりもするのです。
これは、久しぶりに、参道の脇道を、咲き揃い始めた梅に誘われるようにして逍遥していたら、ぽっかりと開けた眺めです。
浮見堂を背景に、のんびりと草を食む鹿さんたち。仄かに春の気配も感じるうらうらとした陽が、心地よい。

春日大社の神さまが、この地にやって来る時に、乗せてもらったのが、鹿。奈良の鹿たちは、神さまのコンパニオンなのです。
なので、この鹿さんたち、大切に、なにかとcareもされてはいますが、あくまで「野生」ということになっています。「そのまま」が、ちゃんと尊ばれているのです。人間の営みの都合に沿うことを求められてしまう「ペット」では決してないのです。

「野生」の獣が、こんなに自然に、堂々と大らかにいる街は、他にはないのではないでしょうか。
奈良は、大都会、ではないけれど、人間がつくったものの比率がそれなりの大きさを占めている都市です。けれども、そこには鹿たちが、変に緊張も警戒もすることなく、かといって、自然なあり方へのわきまえを見失わされることもなくいられるスペースが、ちゃんと自然にあるのです。

奈良公園は、私の中学・高校時代の通学路で、毎日ここをバスで通っていたのですが、ちょっと遅くなっちゃったかも…と、どきどきしている朝に限って、赤信号でもないのにバスが止まることが、しばしば。
前をのぞきこむと、そこにはたいてい、ゆうゆうと道を渡っていく鹿の姿があったものです。
けれど、そんな扱いに、鹿たちが傍若無人になることは、決してなく。
校庭の花が食べられたりしてしまったのも、奈良にしては珍しいような大がかりっぷりだった「シルクロード博」なる催しのせいで、彼らが居場所に困ってしまっていた時だけでした。

奈良にいると、自然とのんびりしてしまうのは、ふるさとだから、ということだけが理由では、きっとないのでしょう。
人間と獣が、程よい距離と互いのスペースを保ちながら、自然な心地よさで一緒に暮らしている街・・・奈良は、そんな街です。
自然との共存、とか、調和、とかが、意識されるようになってきたこの頃ですが、知恵とか思想とか技術とか未来への展望とか・・・殊更に大仰に語ったりしなくても、ほんとうはきっと、大丈夫なはずなのです。
自然に、自然な感覚を持てている・・・その心地よさと、大切さを、自然に確かめられる街・・・奈良は、そんな街です。

奈良の香り
   サンダルウッド 1滴
   パチュリ 1滴
   マジョラム・スイート 2滴
by leaf-child0802 | 2010-02-20 15:29 | 奈良のこと
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