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ことの葉暦

leafstar.exblog.jp

Heal Thyself

先日、「ハマっています。」と書いた「平清盛」。

この間の日曜日の回で、平重盛が亡くなりました。

それにつけても。
後白河法皇の所業…見るにつけ悲しくなってしまいます。



たとえば今回、
法皇は死の床にある重盛を見舞います。
息も絶え絶えに、涙ながらに、平家を、父を見守ってほしい、と懇願する重盛に、
じゃあ、これにお前が勝ったら、と、
法皇は、すごろく遊びの相手をさせるのです。
それはまるで、
重盛の消えそうな命の灯火に、戯れに息を吹きかけて、揺がせて楽しんでいるかのよう。

平家に焼き討ちされた奈良の大仏の再建に尽力してくださった、
奈良人とっては、恩あるお方、なのですけれど…。

(あくまでも、今回のドラマでの描かれ方においては、ではありますが、)
なんと、残酷な人なのだろう。

そして、
その残酷さは、あたかもこんなことを言っているかのよう…

「どうだ。
 私は、哀れであろう。
 この哀れさを、敬え。
 私の、この苦しみを、尊べ。」



何がしかの大きなことをなす人、というのは、
深い傷を負った人、であったりもします。

それほどの傷を負っても、その人はなお生きていて、
そして、
そのような傷を癒そう、とすることは、
その人の
命の力の、
心の力の、
発露の大いなる機会となり、道となる。

だけど…

時に人は、
傷を癒そう、としながら、
傷が癒えることに、抵抗してしまうことが、ある。

すなわち、
力が発露することを、
そして、
自分を自分らしく語り伝えることを、
傷付いているのだ、ということに、頼ってしまう。

傷口を、再び開き、
そうしてまた、血を流す。
その痛みの感覚に、
生きていることの実感を、頼ってしまう。

だから、
傷が癒えて、もう傷ではないとされることを、怖れ、厭う。

そうあってしまうと、
人は、人を傷付け続けるしかなくなってしまいます。
自分を。
他者を。



それは…
いつまでも、
自分には傷付き欠けているところがある、と思い続けることなのかもしれません。
だから、と、補い満たされることを求め続けなければならないのだ、と思い続けることでもあるのかもしれません。

大変なモチベーションになるのかもしれないけど、

そのような人生は、ただただ、あまりに、苦しい。



たしかに。
苦しむことのない人生など、ない。

それでも。
生きることを、
生まれたことへの復讐にしてしまわないで…。



傷が癒える、とは、
傷がなくなったり、傷でなくなったりすること、ではないのです。

傷が癒えても、
もしかしたら、跡もあり、
痛みもあったりは、するのです。

もう元には戻らない。

だけど、それを、赦せる。

そこに施された手当への、愛と感謝故に。

それが、傷が癒える、ということ、なのではないかな、という気がするのです。



きっと後白河法皇も、
とても傷付いた人であったのだろうな、と思います。

ただ。
傷付いたことがない人なんて、きっといない。

傷に頼って創られ、語られる人生は、悲しい。



どうか。
大切な人を、傷付けないで…。
そして。
その大切な人、は、
あなた自身でも、あるのです。



傷を癒す香り
   ラベンダー 2滴
   カモミール・ローマン 1滴
   フランキンセンス 3滴



おまけ
Heal Thyself_e0170845_1610168.jpg

昨日の夕空。
茜と藍の間には、実はグリーンが、あるんですね。
by leaf-child0802 | 2012-11-13 16:13 | Message
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