今日は、聖金曜日。
イエスさまが十字架にかけられた、とされる日です。
13日の金曜日、というのは、ここからきているのですね。
私の両親が結婚式を挙げたのは、5月の「13日」だったのですが、
何年かに一回、結婚記念日が「13日の金曜日」になってしまうのがイヤで、
入籍は、前日の12日に済ませるようにしたんだそう…。
十字架の物語。
たしかに、何度読んでも、かなしくつらい気持ちになってしまいます。
もっともこの出来事は、
キリスト教的には、
愛、赦し、癒し、希望…の表現としてあったこと、なので、
ちっとも不吉なんかではないのですが…。
それでも、
十字架のイエスさまの、あまりに痛ましいお姿に、
目をそむけたい気持ちになってしまうのは、
当然の人情、ですよね。
信仰、というのは、
何よりも、
しっかりとして、
生き生きとして、
平和な、
そんな心で生きるための智恵、であるように、思います。
十字架の物語にある智恵とは…
私たちは、
苦しみがない世界を望むものですが、
もしかしたら、
古の人たちは、
この世界にとっては、
苦しみがないことは、
苦しみがあることよりも、
ずっと不自然なことなんだ…と、気付いたのかもしれません。
苦しみがあることは、自然なこと…。
でも、
たとえそうわかっていたとしても、
時に私たちは、苦しみと共にあることで、心折れそうになる…。
そんな時、
どこまでも苦しみを共にしてくれる誰か、が、必ずいてくれるのだと思えるなら。
誰からも心にかけられることなく、
うち捨てられてられるままになることなんて、決してない、と思えるなら。
私たちの心は、
きっと折れないでいられる。
そういう智恵なのではないかと思います。
十字架のイエスさまのあの痛ましいお姿は、
私たちと同じように苦しみを感じ、
私たちと苦しみを共にできる、
そんな力がたしかにここにある、ということを、
必死に伝えようとしているのではないか…
そんな風に、思うのです。
十字架に捧げるハーブティー

ヒソップ
パッションフラワー
ヤロウ
ラベンダー