私事ですが…昨日不惑を迎えました。
30歳を迎えたのは、ロンドンへ向かう飛行機の中でした。
自分はどこにいくべきなのだろう…。
どこにならいられるのだろう…。
なにをこそなすべきなのだろう…。
何もさだめられていないようであることが、
楽しみでも苦しみでもありました。
40歳の朝の目覚めは、生まれ育った奈良の地の、両親の家で迎えました。
自分がここにこうして、
さだまりさだめられているようになれたことが、
ただただよろこびでした。
私たちは、
居場所があってこそ、何者かになれるのでしょうか?
何者かであってこそ、居場所を確かにできるのでしょうか?
…どちらでもあるのでしょう…。
ここに居ることへの覚悟を決めることは、
私たちを、
何者かへとならしめていくことでしょう。
何者かであることの責任を受け容れることは
私たちに、
居るべき場所を知らしめることでしょう。
それでも道に迷うことも、あるかもしれない。
でも、大丈夫、と思えています。
なぜなら、
道に迷ったことがわかるのは、
いきたいところが、
いくべきところが、
いるべきところが、
わかっているからこそ、なのですから。
それが、
「惑わず」ということなのではないかな、
…と思っているこの頃です。