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ことの葉暦

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カテゴリ:本棚( 18 )

the guardian of your life

今宵は、いわゆる「最後の晩餐」を思い起すミサがある宵。

今週は、「聖週間」といって、
カトリックにとっては、イエスさまのご復活へと向かうクライッマクス、である、
とっても特別な時にあたっています。



そんな時なので…
今週は、こんな本を読んでみているところ。



「神は悪の問題に答えられるか 神義論をめぐる五つの答え」
   (スティーヴン・T・デイヴィス編 教文館刊)



神さまがいてくださるはずなのに、
どうしてこの世界には、苦しみがあるのだろう?

神さまがいてくださるはずなのに、
どうして私たちは、悪しきことに出遭ってしまうのだろう?

宗教哲学者や、神学者たち(たとえば、遠藤周作にも大きな影響を与えた、とされる、「宗教多元主義」で有名なジョン・ヒックなど…)が、それぞれに、この問いに懸命に向き合い、答えようとした論考と、
それぞれが互いに、それぞれの答えに応えようとした議論が収録されている、おもしろいスタイルの本。



苦しみに対して、
私たちは、どうしてもやっぱり、
「なぜ?」と問わずにはいられない。

それでも。
何があっても。
神さまを愛し、信頼し続けたい。

そのためには、
神さまを、
どのように定義し、理解したらよいのだろうか?

その答えを求めて、
一生懸命になっている学者さんたち。

哲学なんかの学者さんたちなので、
そんな難しいこと言わなくても…と思ってしまうような、
難しい言葉がとび交っていたりもするのだけれど、

読んでいると、
なんだか、切々としているようにも感じられてきて、
愛おしい、というような気持ちにさえ、なってきました。



その論の、
どれがどれぐらい、
正しい、とか、正しくない、という判断は、
結局のところは、誰にもしきれないんだろう…
とは、思うのです。

もしかしたら…
神さま、というものを語ろうとする時、
正しい、正しくない、にひたすらに拘ってしまうと、
ほんとうに大切なことを、伝えられなくなってしまうのかもしれない…
とさえ、思っていたりも、しはするのです。



それがほんとうに大切で、
愛すべきものであればあるほど、
それについて語り尽くすことなんて、きっと、できなくなっていく…。

だけど、
それほどに大切で愛すべきものに向かっている存在の、
健やかで、幸せな存在感を、
感受し、受容し、共感するなら、
語り尽くすことがされなくても、
大丈夫なんじゃないかな、という気は、しているのです。



だから…
たとえば神さまについて、
論を弄することは、
もしかしたら虚しくて、滑稽でさえあることかもしれないのだけれど…。



それでもその一生懸命さを、愛おしくさえ思ったのは、
神さまはよきお方で、
この世界はよきところなんだ、と、
だから、
私たちは、
健やかで幸せであれるはずなんだ、と、
信じたい、という切望が、
彼らをそうさせているから、だったのでしょう…。



私たちが体験するのは、
私たちが思い、信じたままの世界です。

それは、
私たち自身が、
私たちの世界の守り手でもある、ということを、意味します。

あなたが世界を美しい、と思うなら、
あなたが世界をよきところだ、と信じるなら、
あなたの世界は、そのようでいられるのです。



世界の守り手の香り
   オレンジ・スイート 2滴
   コリアンダー 1滴
   ローレル 1滴
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by leaf-child0802 | 2013-03-28 09:27 | 本棚 | Comments(0)

伝えたくて記されたもの

物心ついた時にはすでに本好きだった私。

本が読めなかった頃の、
そして、
本のことをなんとも思っていなかった頃の記憶、というのが、ないのです。

文字を覚えたのは、いったい幾つの頃だったのか…。
幼稚園の頃には、もう立派な「本の虫」でした。



特別教育熱心な両親だったワケでもなく、
本でいっぱいのお家だったワケでもなかったんですが、

同居していたある親族が、元教師、だったので、
きっと彼女が、早々に文字を教えてくれていたのでしょう。

彼女は、
その存在が、家族を安らがせることは決してなかったような、そんな人で、
その存在を、ゆるし受け容れることは、いまだに私にとって、一苦労、なことだったりはするのですけれど、

私に文字を教えてくれたのだろう、ということに心を向けると、
彼女の存在にも、自然に素直に、感謝できるような気がしたりするのでした。



そんな風ですから、
私にとっては初めての、ただもう本のためのお部屋、だった、小学校の図書室のことは、とても愛おしく覚えています。

ずらりと並ぶ本たちの中で、まず私が読んだもの…
それは、子供向けの、世界の偉人の伝記シリーズでした。

モーツァルト、ベートーベン、シューベルト…
ナイチンゲール、シュバイツァー、リビングストン…
イエス・キリスト…。



伝記って、好き。



英語だと、biography。
「bio」は「生」。「graph」は「描かれたもの」。
なんとなく、描くこと、に力がこもっているような感じ。
一方で、
日本語の「伝記」という言葉には、
伝えたい、という思いが、より強く感じられるような気がします。

その人が生きたことを大切だ、と思い、
その人が生きたことを生かすことが大切だ、と思う。

だから、
伝えたい。



最近、読み終えた本は…

 カール=バルト(人と思想 75)
 大島末男著 清水書院刊

遅ればせながら、勉強を始めた、バルト神学。
これはその入門書なんですが、
この、「人と思想」シリーズ、好きなんです。

(今は同じシリーズで、ティリッヒを読んでいるところ。
 キルケゴールやシモーヌ・ヴェイユも持ってます。)

理由は、伝記の部分が充実していること。

そして、
きっと、
だから、
執筆者の方が、その人物のことを好きなんだな、と、とても感じられること。

好き、とか、
大切なんだ、という思い入れ、とか。
それは、人を、冷静な、とか、neutral、とか、透徹した、にはしておかないかもしれない。

たとえば知的であろうとするなら、それはあまりいいことじゃない、と言われてしまうかもしれないけれど。

でもなんだか、それでもいいような気がするのです。



分析、とか、批評、とか、解説、
…による理解。
…というよりはむしろ、
受容、とか、共感、とか、共鳴、
…による理解。

そういうところにあるのは、
共働への志。

一歩離れる、のではなく、
一歩そばへ。

その外に立っているままではなくて、
その内へと、入っていく。

そういうところにあるのは、
shareへの招き。

誰かの生に学ぶ、とは、そういう感じなのかも、と思うのです。



好き、に元気づけられ、
大切だ、に勇気づけられる。
そうして、わたしたちも、きっと、
屈託なく、よく生きていけるような、そんな気がします。



伝記の香り
   パイン 1滴
   ペパーミント 1滴
   ローズマリー 1滴
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by leaf-child0802 | 2012-11-20 08:04 | 本棚 | Comments(0)

正しいゆるし

風速70メートルって…いったいどんなことになってしまうのだろう?!
…と思ってしまわずにはいられなかった台風15号でしたが、
奄美の友人宅は、停電こそはしたものの、どうしていいのかわからないようなことにはならなかったみたいです。

よかった。



昨日は、南海トラフ地震の、想像を絶するような被害予測が発表されて、大騒ぎになっていましたが…
自然に起こること、で、
起きなくてもいいこと、や、
起こってはいけないこと、は、
ほんとうには、ない。

起きなくてもいいこと、や、
起こってはいけないこと、を、
起こしてしまうのは、
人間です。

生きることは苦しみである、と言われるのは、
そのような自身の性があってこそ…。



たとえば。
このところのニュースで、心をとめられずにはいられなかったのは、
山本美香さんのこと。

きっと、美香さんご自身は、
戦場ジャーナリスト、であることを自らの使命とさだめられた時から、
このようなかたちで人生を絶たれてしまうことが、そのさだめの一部かもしれない、ということを、見ないことには、決してされてはこなかったことでしょう。

それでもやっぱり、
起きなくてもいいこと、
起こってはいけないこと、が、
起きてしまったのだ。
起こされてしまっているのだ。
…という感覚を、拭うことはできません。

殊に、
かけがえのないパートナーを、
このようなかたちで手離さなくてはならなくなった佐藤和孝さんが、
これからどれほどの苦しみを経ていかなければならないことか…と想うと、
どうしても心が、痛んでしまいます。



佐藤さんをはじめ、
自他を含めた人間が起こしてしまう、
起きなくてもいいこと、
起こってはいけないこと、で、
苦しんでいるすべての人たちが、
それでもいつか、
この苦しみにも意味があった、と、
健やかに言えるように生きていけることを、
祈っています。



そんなことを想っていたところ…
NHKの教育テレビで、
ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」がfeatureされているのを、偶然目にしました。



人生には意味がある、と、気付いていられること。
だから、
苦しみには意味がある、と、信じていられること。
その大切さを伝え続けたフランクルの想いと言葉に、私は共鳴します。

だから当然、
私の愛書には、彼の著作が何冊も含まれているのですが、
彼の代表作、とされる「夜と霧」は、
実はまだ手許に置くことができずにいるんです。



アウシュビッツでの日々の内での、
人間の心についての気付きが書かれているという、「夜と霧」。

きっと私の心は、
ぐわんぐわん鳴らされて、
くらくらのふらふらになってしまうんだろうなあ…。

だから、
体力と、覚悟と、勢いがなくては、
きっと読みきれない。



ただ、
他の彼の著作に触れてきて、想うのは、
フランクルは、人のあやまちをゆるせる人だったのだろう、ということ。

起きなくていいこと、を、
起こってはいけないこと、を、
起こしてしまうのだとしても、
人が人であることを、ゆるしきることができる人だったのだろう、ということ。

そうして、
苦しみがある、ということを、
ゆるしてやることができる人だったのだろう、ということ。

だからこそ、
アウシュビッツを通らされねばならなかった運命をも、
愛でてやることができた。



きっと、
ゆるせる人だけが、
人として生きていて出会うあらゆることに、
意味を見いだしてやることができるのだろうと思います。
そして、
人生にイエス、と言い続けてやることができるのだろうと思います。



たとえ自分の意に染まないのだとしても、
ゆるす。
それがどんな苦しみであったとしても。



人間は、
苦しみをなかったことにしようと躍起になってしまいがちだったりもするけれど。

ちゃんと存在を認めてやってこそ、
正しい応対をしてやることも、できるのですから。



すべての存在たちに、
正しいゆるしを。



ゆるしの香り
   サイプレス 3滴
   スパイクナード 1滴
   ブルーヤロウ 2滴
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by leaf-child0802 | 2012-08-30 07:12 | 本棚 | Comments(3)

幸福論へのintroduction

最近本屋さんで、とても目につくようになった、アランの「幸福論」。
いろんな出版社からの手軽な版が、あそこにもここにも、という感じ。
幸福について語られた本、といえば、まず挙がるであろう古典的名著です。

幸福について、
きいてみたい…
考えてみたい…
話をしたい…
わかりたい…
なんだかみんな、そんなことを望んでいるのだなあ…と感じます。



幸福論コレクション
e0170845_955514.jpg

アランをはじめ、
ショーペンハウアー「幸福について 人生論」
ラッセル「幸福論」
福田恒存「私の幸福論」
ヘッセ「幸福論」
メーテルリンク「限りなき幸福へ」
コント=スポンヴィル「幸福は絶望の上に」
鷲田清一「死なないでいる理由」
などなど…



先日、神父さまから「よろこびは苦しみと矛盾せず、両立するもの」というお話をお聞きした、ということを書きましたが、
幸福も、苦しみと矛盾せず、両立するもの、なのではないかなあと思っています。

人は、つい幸福を「楽」と混同してしまいがちで、
そこに「苦」もあると、幸福ではない、と思ってしまいがちです。

楽しみは苦しみと矛盾し、両立しないものだから。

だけど、たとえば仏教では、「一切皆苦」と言ったりします。
生きる、ということは、本質的に、「苦」とは切り離せないところが必ずあるものなのです。
だから、幸福を「楽」と混同してしまうと、
幸せである、と言いきることが、できなくなってしまう。
幸せになりたい、と言い続けることになってしまう。

幸せになりたい、と言うのは、
幸せではない、と思ってしまっているから…。
その思いが、幸せになろう、というmotivationとなって、人を生かすこともあります。
でも、その思いが、幸せになれない、という苦しみを、あらたに生んでしまうこともある…。

ただ、私はこう思っています。
人が、幸福を見逃すことはあっても、
幸福が、人を見離すことは決してない…と。



幸福の香り
   モミ 2滴
   グレープフルーツ 2滴
   パルマローザ 1滴
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by leaf-child0802 | 2012-01-11 09:58 | 本棚 | Comments(2)

My Forest

八月も、もう終わり。殊に朝夕は、すっかり過ごしやすくなりました。
夏の盛りには、避けようとばかりしてきた日差しですが、その衰えを感じるようになると、なんだかいたわりに似たような気持ちが、それに対して起こるようになってきます・・・。
(これ、なんだか親に対する子の気持ち、にちょっと似ているかも。)

暑いのが苦手な私は、「冬籠り」ならぬ「夏籠り」をします。
お家で読書、が、私の夏の過ごし方。
本の通販サイトには、ものすごくお世話になってます・・・。

そして気付くと、鬱蒼としている、本棚・・・。
まるで樹々がその葉影を濃くして、夏の暑さから守ってくれるみたいに。

先日ちょっと整理はしたのですが。
我が家の本棚は、着実に「森」へと育っています。



本が好き。
素が植物でできている、ということもきっとあるのでしょうが、
一緒にあると、幸せなんです。
「壁一面本棚」は、ずっと私の理想のお部屋、なのです。

それでいて、
「持ちものは、トランクひとつ」というライフスタイルに、
ちょっとしたこだわりがあったことも。
いつでも、どこへでも、いけるように。
そして、わたしがいなくなったあと、残ったものが困ったり、残ったもので困らせるようなことがないように。
・・・と。
その頃の本棚は、気軽・手軽なものを少々、でした。
「切り花」か、せいぜい「鉢植え」をちょっと飾る、といった感じ。



身軽さが身上。
そのことに変わりはないけれど、
今、私は、本の「森」を育てています。
「根」がある、ということを、無理に手離そうとしなくなったのかな・・・そんな風に思っています。



本は、やっぱり「樹」に似ている・・・。
言の「葉」を生い茂らせ、
historyに、
storyに通じた、
静かな賢者。
そして、どうしたって感じさせられる、いのちのけはいが、ある。
そのものとの出会いが、人生を支えることも、導くことも、あるのですから・・・。

そんな賢者たちにいつでも会える、お家の中の「森」。
心強い。



中でもmasterと呼ばれるにふさわしい「樹」。
e0170845_8395812.jpgミッション系の大学の英文科で学んだ母から譲り受けた、聖書と英和辞典。
handyなサイズ、ですが、立派な「古木」「大樹」。
宝もの、です。



「森」の香り
   モミ 2滴
   シダーウッド・アトラス 1滴
   クラリセージ 1滴
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by leaf-child0802 | 2011-08-30 09:00 | 本棚 | Comments(2)

愛という色眼鏡

 「きみが住む星」池澤夏樹著

どうしてぼくはこの星が好きなんだろう・・・とゆっくりと考えてみる。
そうして、それはきみが住む星だから・・・と気づく。

・・・そうして始まるのが、この一冊。

この星が、こうなったこと。こうあったこと。こうあること。
そういったことへの感謝が、綴られたシンプルでうつくしく、やさしい言葉のあいだから溢れています。

素敵な本です。

愛するものを通して、世界をみる。

愛と感謝の大切さ、が、方々で、辟易するぐらいに、語られています。
とにかく「ありがとう」と言うことが、大事、とか。
でも、ほんとうの感謝って、しようとしてもできるものじゃ、ないですよね。
uncontrollable。

だけど、
愛するものを、ほんとうにpreciousな何かを通して、世界をみた時、気がつけば、どうしようもなく、感謝は溢れています。
その眺めに驚くことができることは、とてもとてもうれしいこと。
奇跡のような、感謝せずにはいられない、幸せ。

例えば、
ある時、わたしは、ある唄声に出会いました。
うつくしい、やさしい、なつかしい・・・と言葉を重ねても、説明できない、だけどただたしかに、愛おしい・・・そんな唄声でした。
その音をきいていると、その音を奏でている楽器であるところの、身体と魂と心をつくったすべてのものに、自然と感謝している自分に、気づきます。
例えば、
その唄い手の、ご両親や、ご先祖。
その唄い手が、出会ってきた人たち。出会ってきたものたち。
食べたいのちたち。
育ったところ。
そこで生きられてきた、生きられている、歴史。文化。
そこに照る光。そこに吹く風。そこに降る雨。
and so on and on and on ・・・。
加えて、わたしがその音を、みつけられた、ということ。
その通り道に、いきあえた、ということ・・・。
この世界には、感謝したくなるものが、なんといっぱいあることでしょう。
ああ、幸せだな・・・と、思うのです。

愛するものを通して、世界をみる。
愛という色眼鏡をかけて、世界をみる。

日本語では「色眼鏡」という言葉に、あんまりいい含みを与えていませんが・・・。
眼鏡、というのは、「節制」のアトリビュート。
識別力のシンボルでもあります。
調整し、的確にみることを助けるもの。

色眼鏡をかけることで、暗くなったり歪んだりしてしまうことも、たしかにあるけれど。
色眼鏡をかけることで、目を開けていることができるようになることも、あるものです。
滲んでいた像が、はっきりしてくることも、あるものです。

みる、香り
   ローズマリー 2滴
   シダーウッド・アトラス 2滴
   シトロネラ 1滴
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by leaf-child0802 | 2010-10-19 10:17 | 本棚 | Comments(2)

続・Philosophia

性格は運命、とか、性格が運命、とか。
最初に言ったのは哲学者だったか、心理学者だったか、誰だったか・・・。
正確なところはわからないのですが、心理占星術、なんてものに関わる身としては、立ち止まらずにはいられない、言葉です。

親によく「考え過ぎや。」と言われる私ですが・・・そうして立ち止まっては、考えてしまう・・・。
だってそういうnatureなんだもの。

最近よく、哲学者、と呼ばれる方々が書かれたものを読んでいます。
考えることのエキスパート、とされる方々。

「考える」…極めて主体的で、かつintellectualなことのように思われていたりしますが・・・。

それは、才能であり、宿命。
趣向を変えて言ってみるなら、カルマでありダルマ。
・・・実はそんな風に「感じて」らっしゃるエキスパートが、少なくないみたい。

それは、もしかしたら、突き詰めることに献身した先の、突き通ったところでだけ感じられる、「明け渡し」の感覚・・・なのかもな、と思ったりします。



鷲田清一さんの「普通を誰も教えてくれない」の中の、一文を。

「わたしの専攻は哲学である。「哲学者」は、ものごとを深く考えるひとだと思われている。そしてその考えつめたことをえらそうに語る。けれどこれはとんでもない思い違いなのではないかと思った。
 哲学は市井のひとたちのなかに生きている。多くのひとたちによって生きられている。ほんとうに大事なものは何か、それをひとびとの生き方のうちに見つけるのが哲学ではないのか。それがすべてでないにしても、哲学理論を「発明」するのではなく、哲学を「発見」すること、そして、生きられたそれを言葉や論理にして、多くのひとに伝えること、そういう媒介者の役をつとめるのが、「哲学者」の仕事ではないのか・・・」

媒介者の役。
オーラソーマでは、「透明の筒になる」といったりします。
私は、「神さまの通り道になる」というのが、好きです。
大切なことが、そこを通って、伝わる。繋がる。

そんな役をつとめるために、才能に、宿命に、己を明け渡す・・・。

幸せな生き様だな、と、思います。

明け渡しの香り
   モミ 2滴
   フランキンセンス 2滴
   ローズウッド 1滴
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by leaf-child0802 | 2010-10-17 13:00 | 本棚 | Comments(0)

Philosophia

六本木ヒルズができる前の六本木。
もはや懐かしいそこには、ある素敵なスペースがありました。
六本木WAVE。
シックなCDショップや、映画館を詰めたビルディング。
当時の六本木は、決して便利な街ではなかったので、そこを訪れる人はたいてい、ほんとうの音楽や映画のaddictたち。
独特の熱気と静けさのある、密度の濃い空間には、不思議な居心地のよさが、ありました。

大学生になって間もない私は、当時の恋人に連れられて、初めてそこを訪れました。
ディレク・ジャーマン監督の「ウィトゲンシュタイン」を観るためでした。
・・・といっても、ロラン・バルトを卒論のテーマに選んでいたような彼とは違って、私は、ウィトゲンシュタインって誰??…という状態・・・。
実際、映像がきれいだったなあ・・・ということぐらいしか、覚えていません。

結局後に、履歴書には「哲学科卒業」と書くことになった私ですが・・・。
正直、(とりわけ現代の)哲学者には、素直な共感を感じられないままで、ずっといました。

 勝ろうとして 跪かせて あなたに一体何が残ろうか・・・?
 (「アイツムギ」 川村結花作詞 城南海歌・・・より)

私が大好きな歌です。

だから。
正しいはず。
本当のはず。
・・・と、自説を声高に語る彼らに対して、ちょっと引き気味でいました。

ですが。
この夏。
ちょっとしたきっかけがあって、読んでみることにしました。
 「ウィトゲンシュタイン入門」 永井均著
(いきなりウィトゲンシュタインその人の著作に取り組めるほど、語学力や読解力に溢れているワケではないもので・・・。)

そこに、こんな一文がありました。
 「歴史に残るような思想は、多分どれも、他になすすべがなかった人によって、どうしようもなく作られてしまったもの、という一面をもつはずである。」
(もっとも、この一文は、ウィトゲンシュタイン、ではなく、永井さんの思いを語ったものではあるのですが。)
・・・心から、愛おしい、と思いました。哲学者、として生きた人たちのことを。

真実とはなんだの。
宇宙だの世界だの神さまだの。
認識だの理性だの。
そんなことをどれだけ一生懸命考えたって、現実を生き抜くには(例えばご飯を食べるためには)、実際のところたいした役には立たないのかもしれないけれど。
それでも。
考えずにはいられない、というnatureを、
放っておいたり、
無視したり、
誤魔化したり、
適当に、器用に扱ったりなんてとてもできなくて、
一生懸命考えた彼らを、愛おしいと思いました。

そうやって、
ちゃんと、
もう考えこむことなく、
疑うことなく、
受け容れられるようになりたかったのだろうと思うのです。
真実だの宇宙だの神さまだの人間だの現実だの・・・全てを。

そうしか生きられない。
そのように、生きる。
苦しくても。
それを、愛ゆえに、といったとしても、ゆるしてもらえるのではないかと、思うのです。

Philosophiaの香り
   ラベンダー 2滴
   フランキンセンス 2滴
   ゼラニウム 1滴
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by leaf-child0802 | 2010-10-01 19:51 | 本棚 | Comments(0)

私の味方

本屋さんでついついやってしまうこと。
文庫本がきっちりと詰まった棚の間を、背表紙を読みながらふらふらすること。
これは危険極まりない行為で、何故かというと、衝動買いしてしまう可能性が非常に高いからです。
衝動に耐えるには心許ない、私のお財布、のはずなのに。

けれども、本からメッセージを貰えた気持ちになれるのは、そうしてついついやってしまった結果なことが、多かったりするのです。
出会いの妙って、そういうもの。

もっとも、ほんとうに気に入ったモノとしか一緒にはいない私なので、そうして出会ったけれど、手許にはもうない本も、もちろんあります。(衝動買いにはありがちな結末。)
けれども、
ここを、この一言を、この一行を、読みたかったんだ、と思えた。
ほんの一瞬、そこに神さまの通り道が開いていて、繋がることがちゃんとできたんだ、と思えた。
そういう相性で、そういう運命だった。
この出会いは、それでもう十分。
…そういう本も、いるのです。

「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」高山なおみ

吉田篤弘さんの本のタイトルにもちょっとありそうな言葉の並びが気になって、手にとった一冊。
高山さんは料理研究家だそうで、日記みたいなエッセイの章末にはお料理のレシピが添えられていて、「豆腐飯」と「モロヘイヤの梅和え」と「おかかバターライス」がなんだかとても美味しそうだったので、つい買ってしまったのでした。

ご本人も、あとがきで、読み返せない時期があった、と告白されていたのですが、感性の繊細さとか強さとかを、痛がることでしか認めることも伝えることもできないみたいな感じがあって、彼女のことをついつい案じるばっかりにこちらもなってしまうような、たしかに読み返すのをためらわせてしまうところがあるような、本でした。

けれど、ちゃんとありました。読み返したくなるところ。

「その部屋のぜんぶが彼女に寄り添って一緒に暮らし、そのぜんぶすべてのものが彼女の味方。」

ひとりで暮らすその彼女に会うと、その部屋に行くと、高山さんはいつも帰れなくなるぐらい酔っぱらってしまうのだそうです。多分、甘えたいから。安心だから。
お気に入りのブランケットの上で、お気に入りのクッションにもたれながらここを読んだ時、やっぱりひとりで暮らす私は、うわ~っと表現するしかないような、幸せな感覚をいっぱいに覚えました。

「この部屋のぜんぶが私に寄り添って一緒に暮らし、そのぜんぶすべてのものが私の味方。」
…ああ、そうだよねえ。そうだよねえ。なんて心強いんだろう。なんて安心なんだろう。なんて幸せなんだろう。

ここを読むと、部屋中へ、ありがとうをたくさん言ってしまうのでした。

甘えたくなるお部屋の香り
   カモミール・ローマン 1滴
   ゼラニウム 1滴
   プチグレイン 2滴
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by leaf-child0802 | 2010-01-25 15:56 | 本棚 | Comments(0)

Crossing

髪を切りました。どれぐらいぶりか思い出せないくらい、久しぶりのことです。
実を言うと、美容院が苦手なのです。
その最たる理由は、些細なおしゃべりがとても苦手なことにあります。

可能性は、大きくて広いものにしておく方が、いいだろうから。
…と、物心ついた後当分の間は、たいていの人は、苦手というものをなくするように、頑張ることをするものです。
けれどもある頃から、たいていの人は、苦手というものがあるままでいることを、認めることをするようになります。
先日、いくつかの「リターン」のお話をしましたが、たとえば、「サターン・リターン」=土星が生まれた時の位置に戻ってくる=30歳になる少し前あたり、なんかが、その「ある頃」になったりもするのではないでしょうか。
可能性を大きくて広いものにしておこうとするのではなくて、自分にほんとうにふさわしいものを、選びとることをするようになるのだと思います。
そして、選びとったものとは、覚悟を決めて付き合っていく。
自分らしさ、とは、そうしてしっかりとかたちになっていくような気がします。

まあ、美容院が苦手、をあるがままにしておく覚悟が、自分らしさをかたちにすることにとって、どれぐらい大切かと言うと、たいしたことはないのかもしれませんが、些細なおしゃべりが苦手な自分を、ずっと受け容れていく覚悟を決めたことは、大切なことだったように思っています。

幸い付き合いやすい髪質でもあるので、長くなった髪をひとつに結えておくスタイルで、過ごしていてあまり支障はないのです。(多分。)
そんな私が、どうして美容院に行こう、と思ったかというと…

「空ばかり見ていた」吉田篤弘

…を読んだから。

余計なことは、口にしない。
かつて志していたパントマイムの名残が、身のこなしに感じられる。
そんな、おそらく自由気ままな、流浪する床屋、ホクトにまつわる、「変則的な」連作小説。

ちょっと不思議ところがあるのに、ちゃんとこことも繋がっているような感じが、少しも不安でなくて、むしろ安心。
そんな心地よさがある吉田さんの書く世界で、
「しゃきしゃき、さくりさくり」
…と鋏が髪を切る音をきいていたら、無性に髪が切りたい気分になったのです。
(できることなら、ホクトさんに切ってもらいたい!)



吉田さんの本たちの一番好きなところは、ひとつひとつにそれぞれにあるように思える物語の世界たちが、繋がりを持っているところ。
それは、トールキン(「指輪物語」の作者)の本たちみたいな、歴史書の創造、とか、一大叙事詩、的な、研究書が出てしまう勢いの整合性で構築を試みたりしてます、というのではなく(←それはそれでまた大好きではあるんですが)、とてもさりげないかたちで、なんだけれど、世界たちが、ふと触れあったり、ふと交差したり、ふと混じりあったりする瞬間が、そこで起きるデジャヴやシンクロニシティーにも似た「ああ、そうだったよね。そうなんだね。」という感覚が、とても心地よいのです。

同時に存在する世界たち。
けれど、それらは決してparellelではなくて、実はきっと、そこここでcrossしている…。

時間軸というのは、ぴんと張られて、ではなくて、無造作に置かれた、糸みたいなかたちをしている。
それが、デジャヴの起こる理由だというお話を、きいたことがあります。
もしかしたらそれが、シンクロニシティーが起こる理由のひとつ、でもあるのかもしれません。

世界とか、時間軸とか。それは決して、脇目もふらない、みたいなものではなくて、きっともっと遊び心のあるもの、なのでしょう。
だから、思いがけないことも、怖くなくて、楽しい。
そんな風に、思っています。

交わる世界を楽しむ香り
   グレープフルーツ 2滴
   ペパーミント 1滴
   ローズマリー 1滴
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by leaf-child0802 | 2010-01-23 17:55 | 本棚 | Comments(0)