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ことの葉暦

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カテゴリ:素敵なものたちのこと( 102 )

強く優しいものたち

ソチオリンピック、終わりましたね。

オリンピックがみんなにこんなに楽しみにされるのは、
あらゆるトップアスリートたちのプレイを見ることができるから、
…ではあるのでしょうが、
きっとそれと共に、
もしかしたらそれ以上に、
たくさんの心に残る物語が紡がれるのを見ることができるから、
…でもあるんじゃないかな、と思います。



浅田真央選手や髙橋大輔選手、上村愛子選手…の、笑顔のやわらかな清澄さ。
ほんとうに素敵でした。



「何かに勝つこと」
と、
「何かを負かすこと」

…同じことを指すようでいて、
ほんとうはそうではないような、そんな気がします。

私たちは、
「自分に勝とう」
…とすることはあっても、
「自分を負かそう」
…とすることは、ないのですから…。



何かを負かそう、とすること。
それは、
自分の強さを証しよう、とすること。

でもそれは、
しばしば、
自分以外の誰かの弱さを証することに、
すり替えられてしまったりしては、いないでしょうか?

戦うことは、
生きる上で、
避けられないし、
避けてはいけないことだけれど、

それが、無残で悲惨なものになってしまうことがあるのだとしたら、

それはきっと、そんな「すり替え」をしてしまったから…。



一方で、
何かに勝とう、とすること。
それは人を、
自分の強さよりもむしろ、弱さに明晰になることへと、導きます。

それを経ずには、
人はほんとうには、
自分を認めることも信じることも、きっと、してやれない。

何かに勝とう、とすること。
それは、
強くありたい、と望むこと。

そして、
強くありたい、と望むこと。
それは、
きっと、
その果てに、
優しくありたい、と望むゆえのこと。

ほんとうに優しくありたい、と望むゆえのこと。

…そんな気がするのです。




浅田選手や髙橋選手や上村選手のあの笑顔は、
たしかに、
自分を認め信じてやれた人の笑顔でした。
強く優しい人の笑顔でした。



勝ち負けがつきまとうのが、スポーツの世界。
戦うことを抜きには語れないのが、スポーツの世界。

それでもオリンピックが「平和の祭典」であれるのは、
それが、
「強く優しい人たち」が会しているところだからなんじゃないかな…

そんな風に、思うのです。



強く優しいものたちの香り
   グレープフルーツ 3滴
   ローレル 2滴
   パルマローザ 1滴
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by leaf-child0802 | 2014-02-25 10:22 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

for Olive…

ここのところ、ニュースをつけると目にしないでは済まない、山口県の山間の小さな集落で起きた、凄惨な事件の話…。

昨日は、
容疑者男性が可愛がっていたゴールデンレトリーバーの「オリーブ」が、
男性が身柄を確保されたのとほぼ同時刻に、
保護されていた施設で、
心臓発作で亡くなってしまっていたことが、
伝えられていましたね。

それは、たまたま、なのかもしれないけれど…。
そこに、繋がりや意味は、ないのかもしれないけれど…。

そこに繋がりを想い、
意味を与えようと、
物語を紡ぎだしてしまう…。
人間の性、です。

そうして、
起こったこと、に、
愛着する…。
過ぎゆくはずのこと、を、
心から去らせないようにしたりする…。
人間の性、です。

その性ゆえの、
苦しみ。
よろこび。
それが、人間を、なにか特別な存在のようにするのでしょう…。



男性がどんな人であったのか、
どうしてあんなことになってしまったのか、
ほんとうのところは、わからないけれど…

オリーブにとって、
男性といられることは、とても幸せなことだったのでしょう。
男性がいなくなってしまったことは、あまりに悲しいことだったのでしょう。



犬、というのは、
ほんとうに、
愛と共にある生きものだなあ…と思います。

そこにはっきりとある愛と、
もっとしっかりと共に、
男性もいられたのなら…と思わずにはいられないけれど…。

神さまが、オリーブを、
安らがせてくださいますように。
そうして、オリーブが、
天使として羽ばたくことができますように。



オリーブに捧げる香り
   ラベンダー 2滴
   ローズマリー 1滴
   ベルガモット 3滴
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by leaf-child0802 | 2013-07-30 06:40 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

幸せなロボット

最新作が、間もなく公開!
…ということで、
ジブリ特集たけなわ!
…なこの頃。

気付けばやっぱり、ほとんど観ているのですよね。
ジブリ、というか、宮崎アニメ。

「風立ちぬ」も、気になってます。



宮崎アニメの好きなキャラクター、BEST3。

3位「紅の豚」のジーナ
   ベタなマドンナ、ではありますが…
   女性としては、やっぱりあんな風であってみたい。

2位「もののけ姫」のヤックル
   主人公アシタカの、愛馬、ならぬ愛鹿。
   しっかりと賢く、静かに強く、自然に純真で誠実で…美しい生きものです。

そして1位は…「天空の城ラピュタ」の園丁ロボット。

人間が去って幾年月の庭で、
墓に花を手向け続け、
鳥や草花を見守り、彼らが生きるのをそっと手助けし続けている。
そんなロボット。

何人に見られることもなく、
何人によろこばれることもなく、
それでも、
自然、として、
当為、として、
さだめられたままに、
ただ一途に働き続けている。

あんな風に生きたい、と思わされるのです。



「ロボットのよう」…
たいていが、蔑みをもって、使われる言葉ですよね。



人間は、
必ずどこかしらは自分に似たものとして、
ロボットをつくるのだけれど、
彼らを愛しいものともする一方で、
かなしいものにもしておきたがる…。

どれほど彼らが人間のようであっても、
プログラムされたままにしか、
さだめられたままにしか、
あることができない彼らを、
差別しておきたがる…。



「自由であらねば」と、
思い詰めたように言い続けている人間にとって、
自分たちも彼らのようであるのかもしれない、と思えてしまうことは、
怖ろしく、忌わしいことなのでしょう…。

たとえば、
宿命論や、予定説。
占星術のホロスコープも、
捉えようによっては、「プログラム」みたいにみえる。

自由であるために、
それらは、
受け容れてはならないもののように、思わねばならないことだったりもするのかもしれません…。



だけど。
自由である、とは、
ほんとうはどういうことなのでしょうか?
自由で幸せである、とは…。



何が私たちの自由を、幸せを、
妨げるのでしょう?



それは、
「プログラム」ではないような、そんな気がするのです。



それは、
「プログラム」ではなく、
怖れであり、
迷いであり、
疑いであるような、
そんな気がするのです。



「さだめ」に頼れない時、
「さだめ」と共に生きられない時、
私たちの荷は、重くなる。
怖れで。
迷いで。
疑いで。



自由で幸せである、とは、
きっと、軽やかであること。

怖れなく、
迷いなく、
疑いなく、
自然として、
当為として、
軽々と働いていられる、
そんな健やかさがあること。



あの園丁ロボットは、
自由で幸せな気がします。



むろん、
その「さだめ」が、
「よきこと」でなければ、
私たちは、ほんとうに幸せではあれないのだけれど。

大丈夫だと、信じたい。

大丈夫だと、信じようと、思っています。

さだめの星たちに、
悪意は、ないのですもの…。



軽々と働く香り
   ローズマリー 2滴
   ディル 1滴
   ライム 1滴
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by leaf-child0802 | 2013-07-18 08:10 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

憧れのdestination

いつか、訪ねてみたいところ。

プラハ。
モン・サン・ミシェル。
日本国内なら…会津。



会津のことを知ったのは、
小学生の頃。
白虎隊を扱ったドラマで、でした。

以来ずっと、いつか訪ねてみたい、と思い続けています。

(もっとも、東京からなら、バスや電車で3時間ちょっともあれば行けてしまうのですけれどね。)



今、会津、といえば…
そう、大河ドラマ「八重の桜」。

昨日の放送分では、
ついに新政府軍が城下に突入…。

ふるさとに殉じようと、自ら命を絶っていく人々…。

そんな一人の、ある家老の最期の言葉が、とても心に残りました。

「幕府のためでも、
 徳川のためでもなく、
 最後に、
 会津のために戦えて、
 よかった。」
 
「生まれ変わるなら、
 また、会津で。」

なんだか、
私がずっと会津に憧れ続けている理由が、わかったような気がしました。



命を懸ける、ということ。
懸命、ということ。

私たちが、
それをほんとうにできるのは、
そして、
それをほんとうにしていいのは、
それが、
ほんとうにしっかりと愛せているもののためである時だけ。

それは、まるで、祈りのようで。

そこに何か残るのだとしたら、
それは、
悔いではなく、
恨みではなく、
きっと赦しであり。
また愛の智恵であり。



そんな風に、人々が命を懸けた、
その記憶を宿し続けているところ。

会津とは、そんなところのような気が、したのでした。

やっぱり、いつか、訪ねてみたい。



ふるさとに命を懸ける香り
   ブルーヤロウ 1滴
   スパイクナード 1滴
   レモン 2滴

(先週蟹座に入って昂揚している、木星。
 そのエネルギーに通じる香りですね。)
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by leaf-child0802 | 2013-07-01 09:03 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

わが師へ

昨日は、
私にとって、大切な「師」の一人であられ、
派遣先の仙台で2月に帰天された、パウロ藤井泰定神父さまの追悼ミサでした。

想い出に浸ってしまうと、
まだまだやっぱり泣けてきてしまう…。
でも、
神父さまの思いを忘れないでいるために、
思い起すことを、し続けていかなくては、と思います。



神父さまが麻布教会にいらした頃。
木曜日の朝にお会いする神父さまは、
いつものローマンカラーに黒のスラックス、ではなく、
タンガリーシャツにジーンズ、というお姿でした。

「これから山谷だから~。」

山谷、とは、日雇労働者、や、ホームレス、と呼ばれる人々の街。
(関西でいうなら、西成のようなところ。)
そこでお弁当配りをしているNPOの活動に、参加されていたのです。

神父として、ではなく、一人の人、として。

仙台では、傾聴ボランティアに、参加されていたそうです。

神父として、ではなく、一人の人、として。

きっと、やっぱり、タンガリーシャツにジーンズ、というお姿だったことでしょう。



「小さな人々」に、
同じ「小さな人」として心を寄せて、
働くことをやめることがなかった、神父さま。



そこに苦しみがある、ということに、
真摯に心を向ければ向けるほど、
私たちは、
充実感、とか、
達成感、からは、
はなれていくのかもしれません。

私たちはそこで、
ひたすらに、
己の「虚しさ」に、向きあわさせられる…。



それでも、
働くことを、やめないこと。


施し、とは、
自分が豊かであるが故に、
出来ることでも為されることでもないのではないか…
そんな気がします。

その施しが、
ほんとうに、善きものである時、
そこで、ほんとうに施されているのは、
きっと、ただ、愛のみ。

ただし、
その、愛、とは、
私たちが持っていたものではなく。
私たちから発するものではなく。



施すこと。
それは、
愛のとおり道になる、ということ。

愛が気持ちよくとおっていけるためには、
その道は、clearでなくてはなりません。

ほこりや、
いし。
何も、その道の上に、置いたままにすることを、しない。

そのためには、
自分は、貧しい方が、きっとよいのです。
己は、「空しい」方が、きっとよいのです。



そうあってこそ、
ほんとうのcharityは、なされる。
そんな気がします。



先週、
初めて福島に行って来ました。
ほんとうに苦しむ人々のために、
ほんとうに働く、とは、
ほんとうはどういうことなのだろう…。
考えてしまわずにはいられない、経験でした。



そんな時は、
神父さまのことを、思い起こします。



神父さま、
あなたは、
ご自身が慕われたり敬愛されたりすることには、
まるで頓着されない方でしたね。

「信仰は、神父に結び付いてあるものではないのだから。」
「イエスさまをみて、イエスさまにききなさい。」

そう、おっしゃっておられましたね。

それでも。
あなたは、
私にとって、
かけがえのない「師」であり続けることでしょう。



「師」に捧げる香り
   ジュニパー 1滴
   ローズマリー 1滴
   ファー 1滴
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by leaf-child0802 | 2013-06-24 07:17 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

ふるさと

先週、父が手術をしました。

生き死にがかかっているようなものではなかったのですけれど、
(もう退院して元気にしているそうです。)
全身麻酔だったので、
意識がちゃんと戻って来るまで、母と二人で付き添いました。

もっとも、ほんの数時間、でしたが。

落ち着いてくると、
今度は私たちがいてはしゃべってしまって、
ちゃんと休まないので…

さあ帰ろうか、と、
エレベーターホールに向かうと…
e0170845_8295776.jpg

時は、そろそろ「魔法の時間」。

(ちなみに、画面中ほどのこんもりとした濃い緑は、古墳です。
 さすが奈良。)

澄んだ空気は、
光だけでなく、
闇も、
澄んだものにするのですね。

ここは、美しいところだなあ、と、
あらためて気付き、
心から思いました。

そんなところが、
帰るところである幸せ。
そんなところへ、
帰ることができる幸せ。

そんな幸せが、
染み透ったように感じられた、よい一日でした。

奈良と、
両親を、
愛おしいと実感できることが、
どれほどの恵みであるのかを、
あらためて知った一日でした。



帰りたい、と欲し目指すのではなくても、
自然にそこへと帰らされてしまう。

それが、ふるさと、というもの。

ならばそこを、
健やかに愛せるように、ありたい。



帰る幸せの香り
   ラベンダー 1滴
   ヒノキ 1滴
   ユーカリ・グロブルス 1滴
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by leaf-child0802 | 2013-06-15 08:32 | 素敵なものたちのこと | Comments(2)

友だち

私は幸せだな、と実感できることのひとつ。

ただただ友だちの幸せを願えていることに、気付けた時。
そんな友だちが健やかに幸せでいることが、ただただうれしかった時。



友だち、という言葉の定義は、いろいろあるけれど…

ただただその幸せを願える誰か。
その幸せがただただうれしい誰か。

もしかしたら、これに尽きるのかもしれないな、と思ったりしています。



だとしたら、
もしかしたら、

それがたとえ、
名前も知らない、
一緒に何かをしたこともなければ、
会ったこともない誰か、
…であったとしても…

友だち、であれる。



そうしたら、

世界中の誰をも、
友だち、と呼ぶことは、
決しておかしなことじゃ、なくなる。



みんなが、
あなたにとって、
友だちであれるのです。

あなたにとっての、あなた自身も含めて。



幸せを願い、
幸せをよろこぶこと…
それは、
もっともしっかりとした愛のかたちのひとつです。

そして、
そのような愛のいられるところは、
増えることはあっても、
減ることは決してないのです。



友だちの香り
   マジョラム・スイート 1滴
   オレンジ・スイート 1滴
   ローズウッド 1滴

Sちゃん、昨日は、ありがとうね!
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by leaf-child0802 | 2013-05-20 09:52 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

wisdom of islanders

奄美大島の北の突端にある、灯台。
そこを訪れたのは、3年ほど前のこと。



坂、というよりは、崖、と呼ぶ方がふさわしいようなところを、
それでも通っている道らしきものを、
ちょうど花の盛りだった白百合に励まされながら辿っていった先を、

ただただ群青だけが、埋め尽くしていました。

眺める、という暇などゆるさないほどに。
苦しいくらいに。

ああもういっそ、この群青にとけ去ってしまおうか…という疼きのようなものを感じました。

その一方で、
身がすくんでいるのも、それはもうたしかに、感じました。

どこへも、逃げられないのだ。
どこからも、助けは来ないのだ。
そんな、絶望、のようなもの、を、感じたのです。

けれども、
やがて、
その底から、
芽吹くようにしてくるものが、ありました。

それは、
ここで生きるしかないのだ、という覚悟、のようなもの。
ここで生きるのだ、という意志、のようなもの。

ああ、そうなのか、と思いました。
島で生きる人たちの、逞しさ、賢明さ、美しさ…。
それは、こうして芽吹いたものを、花のように咲かせることをしたもの、なんだ…。



先日、
北の果ての島、アイスランドを特集したテレビ番組を観ました。



火と(アイスランドは火山島、なのです。)氷の島で、
その、決してやさしいばかりではいない自然と共に、
逞しく、賢明に、美しく生きる人たち。

自然と共に生きる、とは、
give & takeなんだ、
…と彼らは言います。
私たちは自然から与えられもし、奪われもする。
でも、
奪われるよりも、
与えられる方が、ほんのちょっと多いから、
私たちはここで、生きていられるんだよ
…と。

そこには、
自らの居場所、とさだめた地への、
感謝、が感じられる、
清澄な響きが、ありました。



奪われるよりも、与えられる方が、多い。
もしかしたら、
ほんとうのところは、
決してそうではないのかもしれないけれど…

それでも、
与えられるものの方に、
恵みの方に、
心を向けて、
恵まれているのだなあ、と感謝していたい。



感謝、とは、
しようと思ってできるものではない、と言われたりもします。
でも、
しようと思ってできるもの、なのかもしれません。

そうできるのだとしたら、
そうさせるのは、
ここで生きるしかないのだ、という覚悟。
ここで生きるのだ、という意志。
そして、
ここで幸せに生きられるのだ、というfaith。



生きる智恵、とは、そういうものなのかもしれないな、と思ったのでした。



生きる智恵の香り
   レモングラス 1滴
   ジュニパー 1滴
   グレープフルーツ 1滴
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by leaf-child0802 | 2013-03-04 09:43 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

魂と身体の、幸せな関係

一人暮らしのささやかな炊事ぐらいでは、
たいして荒れることもない私の手。

なのですが、

教会のご奉仕で、ちょっとばかり大がかりな台所仕事を続けてこなしたこともあり、

あちちっ…とか…
ぱっくり…とか…
がりりっ…とか…

気が付けば、傷だらけになっていました。



手の傷って、すごく気になってしまいますよね。
どうしたって、使わないではいられないところだし。
なんだかんだで、目にせずにはいられないところだし。



でもね。

ちょっと奇妙に聞こえるかもしれないんですが、

ある時期から、
手の傷をちょっと眺めてみたりすることが、
なんだか好きになったんです。



あ~あ…とは思うのだけれど、

ちゃんと気遣わなかったよねえ…ごめんね…と思いつつも、
一生懸命癒えようと働いている細胞たちの様子が、
愛おしくもあり、
頼もしくもあり、
「頑張れ!」とエールを送ってみたりしながら、
数日か、数週間もすれば、この傷もきっと治っているんだなあ…と安心して思っていられることを、とてもうれしく感じたりするのです。



なんだか、
それは、間違いなく「私の身体」ではあるんだけれど、
私一人でできているのではないような。

それは、
私の魂、というようなものに、
惹きつけられて来て、
共にあってくれている、
数多のいのちたちの集まり、であるような。



身体。
私の身体、と呼びながらも、
私のもの、と言いながらも、
私の意のままにはならなかったりもします。

そんな身体のことを、
枷であるように、
重荷であるように、
私を囚えるものであるように、思っていたことも、かつてあったけれど、



いつだったか、
ふうっと、
気付いたのです。



たとえば、
私が、
私の意を以って
癒えよう、とか、健やかであろう、としなくても、
私の身体、であるところの、
たとえば、細胞、と呼ばれている小さな数多のいのちたちは、
癒えよう、健やかであろう、と、一生懸命働いてくれている…。

そんな彼らが共にあってくれて、
私を支え、
私に使われもしてくれるからこそ、
私は、この地上で生きることができる…。



なんて愛おしく、
心強いことなのだろう!…と。



そんな風に思えるようになって久しいこの頃なのですが。
ついこの間、
ケルトの智恵について書かれた本の中にも、
同じような感覚が語られているのに、出会いました。



私たちの身体の中に、私たちの魂が入っている、と考えられがちだけれど、
そうではなくて、
私たちの魂の中に、私たちの身体が入って来ているのだ、と、
ケルトの人たちは考えていたのだそうです。



そうそう!
…と、うれしくなりました。



…だとすると、
たとえば、
「死」というものは、
私たちの魂が、
身体を離れて、どこかへ往く、ということ、ではなくて、
私たちの身体が、
いのちの限りを尽くした後、
魂を離れて、母なる大地へと還って往く、ということ、で、

それはすなわち、
ここ、を離れるのは、
魂、ではなく、身体、であり…

しかも、
彼らが還って往くのは、
大地、の他のどこでもなく、
すなわち、
ここ、からはちっとも遠くないところ、であって…

ケルトの人たちが持つ、
死者たちとの近しさの感覚は、
もしかしたら、こういうこと、に依っているのかもしれませんね。



私の魂の許にやって来て、
共にいてくれる、愛すべき身体。
いのちたち。

傷を癒やそうと働くいのちたちを助け、励ますことができるように、
まずは今日も、身体によいもの(これも、いのちたち、ですね。)を、ちゃんと美味しくいただかなくちゃ、と思うのでした。



愛すべき身体の香り
   イランイラン 1滴
   レモングラス 1滴
   サンダルウッド 1滴
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by leaf-child0802 | 2013-01-26 09:51 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

天使の梯子?

昨日の朝のことです。

前日の日曜が、ちょっとしたハードスケジュールだったので、
いつもよりぐずぐず起きた朝でした。

いまいち冴えない感じのまま、カーテンを開けると…

あれ、なんだろう…?
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光の…柱?
光の…梯子?

しかもなんだか、虹色をしているみたい…。

でも、虹、にしては、すらっと真っすぐだし…。
それに太陽は、私のところからだと、この左手すぐに、見えているのです。
(虹が見える時、太陽は、必ず私たちの背後にあるもの、ですよね。)



「梯子」といえば…
e0170845_102307.jpg

↑「天使が昇り降りする梯子」と呼ばれるのは、こういうの。
(正式には、「ヤコブの梯子」といいます。これは、奄美の大浜で見たもの。)



もしくは、
「彩雲」と呼ばれるものの、一種になるんでしょうか?

でも、
虹や彩雲は、すぐに消えてしまうもののような気もするのですが、
これはね、そうでもなかったんです。

時折伸びたように見えたり、
虹色がより鮮やかになったりもしながら、
しっかり一時間ぐらいは、見えていたでしょうか。



何だったにせよ…
いいものを見た!



これが「梯子」だったとしたら、
これを昇って、何かがどこかへ行ってしまうのではなく、
これを伝って、何かがここへやって来られるようになったような、
なんだかね、
そういう感じがしました。



そして、
こういう光景に出会って、
sense of wonderに招かれるままに、
立ち止まることをゆるしてもらえているのは、
とても幸せなことだなあ、と、思ったのでした。
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by leaf-child0802 | 2013-01-22 10:23 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)