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ことの葉暦

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祈りの杜

昨夜は明治神宮で行われた奉納野外コンサート「祈りの杜」に行ってきました。
出演は、カサリンチュ、古澤巌さん、中孝介さん。

私がかつて暮らしていたオーストラリア・ヴィクトリア州の州都メルボルンには、街の中心に素晴らしく心地よい、緑で満たされた公園が広がっていて、(緑の美しいヴィクトリア州にはGarden Stateという愛称があるくらいなんです。)その緑の中で、夏になるとコンサートやシェイクスピア劇なんかを、ピクニック気分で楽しむことができたんですが、この街中に緑なす杜でのコンサートのことをきいた時、ふとそんな昔の光景を思い出して、とても懐かしい感覚を覚え、行ってみよう、ということになりました。

杜も神社も大好きな私ですが、原宿駅周辺の常軌を逸した人混みにメゲてしまって、実はこれまでほとんど明治神宮を訪れたことはなかったんです。
もったいないことをしていたな・・・と思いました。
慣れ親しんだ奈良の春日大社の杜と違って、明治神宮の杜は、人の手がつくった杜です。でも本当に、見事な杜でした。雨水の余韻と共に漂う土の、草木の香りの濃密で心地よいことといったら!街の気配を、すっかり忘れてしまうぐらいでした。山手線と首都高速が周りを取り巻いているなんて、ちょっと信じられません。
観覧スペースの芝生にレジャーシートを敷いて座り、振り返ると、視界の奥深くまでを満たすように、樹々が幾重にも重なってずっと続いている様子が覗えました。視界が開けるステージ上にいた方々からは、どれほどうっとりするような景色が見えていたことでしょう。唄ったりしている場合では、ないぐらいだったかもしれません。

「奉納」とは、神さまによろこんでもらおう、という想いでされるものなので、コンサートは、明治神宮の神主さんのお祓いから始まりました。すっかりピクニック気分でお弁当を食べていたので、ちょっと面喰っては、しまったんですけれど。

オープニングアクトは、奄美から来てくれた、カサリンチュ。(奄美空港なんかもある島の北部のあたりが「笠利」になります。「カサリンチュ」とは、「笠利の人」という意味です。)
私は島に行くとたいてい飲みに立ち寄るお店のスタッフさんたちに教えてもらって大好きになったのですが、ようやく生で聴くことができました!今っぽいのに不思議なくらい尖がってなくて、グルーヴ感も声も心地よくて、なんだかのんびりした気分になれるんです。(もっとも昨日のご本人たちはかなり緊張されていたみたいですが・・・。)3曲だけだったのが、残念!

そして古澤巌さん。
ヴァイオリンと身体が一体となって響かせる、おおらかで深い音。弦楽器で最も高音域を担うヴァイオリンの音色は、ともすれば細かな波が固まって突き通ってくるように硬質なものになってしまったりするのですが、古澤さんの奏でる音色は、木の楽器の、そしてそれが根ざしていた大地のような、あたたかなエレガンスを存分に感じられる、ゆったりとした音色です。

最後に、中孝介さん。
この方のライブには何度か足を運んでいるのですが、昨夜はとてもきれいに声が出ていたような感じがしました。野外、というのはホールのような音響効果が期待できないので、機材で頑張ってもどうしても音が痩せてしまうこともあるんですけれど、やはりシマ唄を学び、そして風や水や、土や日の光や樹々たちに囲まれて唄ってきた人々の記憶をその血に濃く溶かしている方は、さすがだな、と思いました。たっぷり水を含んだ雲とも、風とも、そこに安らいで揺れている樹々たちとも、自然に共振して拡がっていくみたいな唄声です。

ちょっと心配だった雨が零れ落ちてくることもなく、まだまだ若葉のぴかぴかに冴えた色をした杜の緑には灰色の空もシックに似合って素敵だな、なんて思いながら、佳い夕べを過ごすことができました。
でもきっと、前日までの大雨の中で、設営をされたスタッフさんたちは、ものすごく大変だったんでしょうね・・・。
みなさんに、感謝。

杜の香り
   シダーウッド・アトラス 1滴
   パイン 1滴
   マジョラム・スイート 2滴
   ホーリーフ 1滴
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by leaf-child0802 | 2009-05-31 15:07 | お出かけの記憶 | Comments(0)

kamiという言霊

久々に洋書のペーパーバックを手にして、思ったことがあります・・・。
日本の「文庫本」って、素晴らしいです!
paperbackというのは、「ハードカバー」ではない=廉価版の本を指す言葉なので、日本だと文庫とか新書とか選書の名前がついて出ているシリーズの類がそれになるんだと思うんですが。
paperbackはたいていワラ半紙みたいな紙で出来ていて、においも手触りもよくなくて、インクが手につくこともしばしばだし、すぐバラバラになったりするのに。
日本の文庫本は製本も装丁も印刷も丁寧。小さなものを上手に作るのは日本人の得意技ですが、それがここにも活かされているぞ・・・という感じです。そして、薄くて、ちゃんとしなやかで、充分手触りのよい紙が、うれしい。

日本ほど紙の文化が豊かな国はないのではないか、と思います。
日系人のイサム・ノグチがデザインした「AKARI」や、「ZEN」のブームで、今では欧米でも和紙の照明はすっかりポピュラーなものになりましたが、建物に恒久性を求めた石の文化にあって、石よりも遥かに儚く思える紙を住まいに使う、というのは、以前は考えられないことだったでしょう。

日本語で「紙」は「神」と同じ音を与えられています。例えばしめ縄の飾りだとか、形代だとか、spiritの依り代として、日本では古来より紙が使われてきました。同じ音には同じ力が宿る・・・「言霊」です。人々は「紙」に「神」を感じていたのです。
偶然昨夜の「Begin Japanology」(NHK World製作の、海外に日本文化を紹介する番組)のテーマが、折り紙でした。この番組、日本文化の深いところの、日本人の私たちがまるで意識してこなかったようなところを分かりやすく解説してくれるので、毎回気付きがあってとてもおもしろいんですが、それによると、八百万の神を信仰し、万物にspiritが宿ることを自然に受け容れてきたアニミズムが、日本の紙の文化には透けてみえる、ということでした。
指先ひとつで様々に形を変える紙。色の、文字の、言葉の運び手となり、人々の想いを語り伝える紙。
たしかに、儚いところもあるかもしれない。けれど、儚く自然に還っていくことは、自然の自然なあり方です。
一方で洋紙が百年ほどしかもたないのに対して、和紙は千年永らえる、と聞いたことがあります。(そもそも湿気に弱い紙が、この湿潤な気候の国でそれほど保たれるというのは、驚くべきことです。)
かたち。色。文字。言葉。想い。それらを自在に宿し、空間や時間を越えて繋いでいく紙に、人々が素朴な崇敬を抱き、神と同じ音を与えたことは、とても自然なことだったように、感じます。

しなやかな運び手の香り
   フェンネル 1滴
   マジョラム・スイート 1滴
   ラベンダー 3滴
   
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by leaf-child0802 | 2009-05-29 15:35 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

Angels&Demons

最近読み返しています。
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ダン・ブラウンの「天使と悪魔」。
人混みが苦手なので、映画を観に行く約束はほとぼりも冷めるだろうちょっと先に友人としているのですが、もう何年も前に読んだきりなので、備えて復習中。
一冊だけだと画的にさみしいので、「ダヴィンチコード」とそのネタ本とされる「レンヌ・ル・シャトーの謎」も一緒に撮ってみました。それと、Oxford English Dictionary。洋書を読むときのお供です。
「ダヴィンチコード」がヨーロッパを席巻していた頃、私もたまたまロンドンにいて、この本は、ナショナルギャラリーの書籍コーナーで買いました。(例えば阿修羅像なんかがカギになるミステリー小説を京極夏彦さんあたりが書いて大ヒットしたとして、上野の国立博物館でその文庫本が買えたりするかな??・・・と考えると、やっぱりイギリスって楽しい国です。)勢いでテンプルやウエストミンスター寺院にわざわざ行ってみたりしていましたが、もし今ローマに行く機会が持てたら、やっぱりヴァチカン周辺やナヴォーナ広場辺りをうろうろしてしまいそうです・・・。
たしかに、アカデミックなポジションにある人たちにとっては、手放しで楽しむワケにもいかないんだろうなあ・・・と思われるところも多々あるし、ハリウッドで映画化されることを見越して描かれたようなシーンも満載(苦笑)、なんですが、個人的にはかなり楽しませてもらっています。シンボルにこめられた世界に遊ぶ、というのは星占いの世界にも大いに通じるところがあって、そういう世界の豊かさに、たくさんの人が親しみを持ってもらえるとうれしいなあ、とも思います。

さらにディープなお話。
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by leaf-child0802 | 2009-05-28 15:11 | 本棚 | Comments(0)

風の声

乃木坂の駅から東京ミッドタウンに向かう路の途中に、とっても立派なプラタナスの樹が立っています。
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一見二本の樹に見えますが、もっと根元の方で繋がった一本の樹です。夏には木陰を、葉を落として冬には日だまりをくれる落葉樹。都会の汚れた空気にも強く、多少刈り込まれたぐらいでは枯れないので、街路樹として出会うことが多い樹ですが、ここまで立派なのに会えることはあまりありません。根っこを踏まれっ放しだろうに、ほんとに、立派で素敵です。

葉柄が長くて葉っぱが大きいプラタナスやポプラなどの樹は、風や光とよく唄います。きらきらした木漏れ日と、風の声が降ってくるその心地よい木陰は、古代から人間たちに愛されてきました。
昔の人たちにとって、風は神様の声でした。そんな「神様の声」と一緒になって唄声を響かせるこれらの樹の木陰には、多くの神殿が建てられたといいます。これらの樹はまた、地下深くの水源に向かって根を伸ばす力強さがあり、泉のほとりに立っていることが多いのだそうです。「泉」は、いのちにとって聖なる場所でした。浄化と癒しと再生の場であり、天国や冥界への通り道でもありました。その「境界」の地深くに根を張り、光に向かって手を伸ばして立つ、風に唄う樹々たち。そこを守り、そこを繋いで立つ彼/彼女たちは、太陽/月や、冥王星と結びつけられるといいます。

今夜は、双子座で新月が起こります。双子座は「風」の星座です。そこで太陽と月という相対する二つの「光」が重なります。さらにこの新月は、やはり「風」の星座である水瓶座にあるドラゴンヘッドと、「地」の星座である山羊座にいる冥王星と、ゆるやかにではありますが、それぞれ120度・150度の角度を創ります。
人間の意識が複層的である、ということは、フロイトやユングを持ち出すまでもなく、聞いているよ、という方も多いかと思います。太陽は「意識」を、月は「無意識」を象徴するとされます。それらが重なっている新月の時期は、自分の想いが向かっているところを、クリアに見定めやすいのです。
ドラゴンヘッドとは、「開けられることを待っている扉」のようなもの、とかつてお話したかと思います。その扉を開けることができてこそ展開する何かがあるわけです。その扉(ドラゴンヘッド)を、層を成す意識のそれぞれに宿る光(太陽と月)が、きれいにかたちを描き出す、自然な陰影をともなうように(120度)照らし出している。
扉が開いたような感覚に、なれるかもしれません。外に出られたような、または入りたかったところに入れたような、風が通ったような、もしくは探しものが見つかったような、そんな感覚が、あるかもしれません。
ただそれは、「地」の星座にいる冥王星が省みられることを訴えてもくるので、一気に心が軽くなって、さっとどこかへ行けるような雰囲気のものではないかもしれません。ちょうどここのところは、双子座の支配星である水星が、懸命に流れを遡ってきた時期でもありました。
けれど、「ここにいる」ことと、「どこにも行けない」ことは、同じことでは、ないのです。

風の新月の香り
   ペパーミント 2滴
   レモングラス 1滴
   サイプレス 3滴 
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by leaf-child0802 | 2009-05-24 14:57 | 星空のお話 | Comments(0)

犬は神様

昨日は、友人と青山のクレヨンハウスでランチをしました。
よく手入れされてご機嫌の植物たちに囲まれた、お天気のテラスでいただく美味しい野菜と玄米ご飯に、大満足。
ここの一階は大充実の絵本コーナーになっていて、この春甥っ子が幼稚園に入ったので、そろそろ本を贈るのもいい頃かなあ・・・と思って覗いてみたのですが・・・選びきれませんでした・・・。子供は大人より原色を好む傾向があるので、優しいタッチのものよりヴィヴィッドな色遣いがいいのかな?とか、彼はお魚と鳥さんが好きだよねえ・・・とか、手がかりはあるものの、アニメや戦隊モノのキャラクターに頼らずに小さな子供の「好き」をキャッチするのは、案外難しい。
ちなみに私は幼稚園の頃から、他の子供たちが走り回っている横で、本を読んでいるようなところのある子供でした。

そこで今日はお気に入りの絵本をご紹介。
銅版画家の山本容子さんの、「犬は神様」。
山本さんの銅版画と、愛犬たちの思い出をつづった文章が織りなされた素敵な一冊。愛しいものたちへの想いが、しとしと降る雨のように淡々と言葉にされています。
大人向きの、絵本です。

十六年連れ添った愛犬ルーカスの死について、いとおしむように書かれた最終章「芸術の神様」が、ほんとうに美しい。
お墓に盛り土をする理由について。
お墓を守る、「ルーカスの養分で育つ」山桜の木のこと。
メジロがつついた山茶花が、お墓の上に落ちるのが、献花をするように見えたこと。
死んだものを想い続けるのもまた、生きているものの素晴らしい力だ、と思います。

犬は信頼や献身を表す生きものとされる一方で、本能的な力や、無意識・潜在意識の象徴であるとされ、例えばタロットの「愚者」や「月」のカードに描きこまれています。
犬は神様。DOG IS GOD。
dogを逆さに読むとgod。はたしてそれは、わたしたちを神から離すものなのか。それとも、わたしたちを神に回帰させるものなのか。

「犬は人間の最良の友」ともいわれます。
フラワーエッセンスをかたちにしたイギリスの医師であるエドワード・バッチ博士は、小さな黒い犬を飼っていて、癒しの植物との出会いを求めて野山を歩き回る時にも連れていたそうです。
「イエスにもし私の犬のような小さな友がいたら、弟子全員が(ペテロさえも)イエスを見捨てたときにも、あれほどの孤独は感じなかっただろう。」
・・・と書き残しています。
黒い犬は、古来より賢者(シャーマン)に連れ添うものでした。そのイメージはエジプトの死者の神アヌビスに繋がっているともされています。
人間と自然や神を繋ぐ賢者(シャーマン)。犬の頭と人の体を持った、生者と死者の間の世界の導き手であるアヌビス。先日阿修羅のお話で少し書いたような、境界にあって境界を越えていこうとするような、もっとも暗いところからもっとも明るいところへ行こうとするような、そんな旅路を歩く時、傍らに犬がいてくれたら・・・。
犬が大好きな私は、それはさぞかし心強くいられることだろうと、想像すると微笑んでさえ、しまうのです。

最良の友の香り
   ペパーミント 1滴
   マジョラム・スイート 1滴
   ラベンダー 3滴   
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by leaf-child0802 | 2009-05-22 15:12 | 本棚 | Comments(0)

阿修羅のprofile

先日お話したシンポジウムもそうだったのですが、BRUTUSの仏像特集で表紙を飾ったり、このところ気になってしょうがない阿修羅。
実は私、ある知人に「阿修羅に似ている」と言われたことがあるのです。たしかに自分でも、ちょっと仏像っぽい、と思わないワケではなかったのです(ただしふくよか系ではなく、かつ大陸の香りを漂わせた飛鳥時代の仏さま系。奈良で仏像をとても身近に育ったので、似てきたのでしょうか??)が…。恐縮しきり…とともに、そういえば阿修羅のことをあまり知らないことに気付いたのです。

もうちょっと読んでみる。
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by leaf-child0802 | 2009-05-20 17:00 | お出かけの記憶 | Comments(0)

雨を呼ぶ赤い花

Excite エキサイト : 社会ニュース
奄美は今日梅雨入りしたみたいです。
昨年の今頃は、ちょうど奄美にいました。今年の今頃もきっと、ユリの白い花がそこここに、光を散りばめるように咲いていることでしょう。奄美の梅雨入りは、ゴールデンウィークが明ける頃が本来のタイミングだそうです。昨年は、晴れをとっておいてくれたかのように、私が東京に戻る5月も下旬まで待って梅雨の雨が到着しました。相当な遅さだったみたいです。それに比べると、今年は少し早いですが、いずれにしても、梅雨入りの時期がずれ込んできている印象は否めません。

この時期の奄美には、とても印象的な赤い花も咲きます。
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デイゴの花です。奄美大島の南に寄り添うようにして浮かぶ加計呂麻島の諸鈍というシマには、とても立派なデイゴの並木があります。樹齢はどれぐらいなのだろう…色んなものたちの声をきいてきたんだね…という感じのする、花のなまめかしいまでの艶やかさとは対称的なぐらいのあたたかい寡黙さを持った大きな樹たちがいます。
このデイゴの花が梢を真っ赤に染めるほどに咲き揃うと、その年は台風がたくさん来る、というそうです。昨年はそんな眩暈のするような光景には出会えなかったんですが、そうしたら本当に、台風はとんとやって来ませんでした。

前線の居場所や台風の通り道が移ってしまうのは、やはり地球温暖化の影響だといいます。晴れている方が嬉しいと思う人は多いし、台風が来るとやっぱり大変なことは多いけれど、この世界はみんなが絶妙なバランスで繋がりあって、手渡しあい、受けとりあい、支えあっているものです。だから晴れてばかりだと植物たちはしんどくなってしまうし、台風が海をかき回してくれないとサンゴたちは苦しくなってしまったりするのです。もちろんこの世界に生きるものは、この世界で生きていこうとする力を持っています。けれど、うんと頑張らないとついていけない変化には、やっぱり力尽きてしまうこともあるのです。

今年はみんな、無事赤い花たちに逢えていると、いいな。

雨を呼ぶ香り
   クラリセージ 1滴
   ジュニパー 2滴
   サンダルウッド 2滴
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by leaf-child0802 | 2009-05-18 14:56 | 奄美のこと | Comments(0)

きらきら

昨日はあるシンポジウムに出かけてきました。
「阿修羅のジュエリー キラキラをデザインする人間の力」
上野・国立博物館での展覧会が大変な話題になっている、興福寺の阿修羅像。「天平の美少年」とも呼ばれ、その姿かたちの奇跡のような美しさを語られることが多い仏さまですが、昨日は、纏っているジュエリーに焦点を当てることによって、その奥に籠められている、その先に拡がっている世界を眺めてみよう、といった趣の、興味深い企画でした。
メインを務められたのは、装飾美術史の鶴岡真由美さん。そして、文化人類学の中沢新一さんと、占星学の鏡リュウジさん。見失われることのない一等星クラスのスターが揃った、贅沢な会が開かれたのは、かつては小学校だったと思われる、コミュニティーセンターの一室。関係者も含めて、授業参観の日の教室ぐらいの人数だったでしょうか。アットホームな雰囲気で、リラックスして楽しむことができました。

阿修羅のジュエリー。そこには、シルクロードを凌駕するほど遥かな「ジュエリーロード」を旅している、人間の「光への想い」が、宿っています。
光に憧れるだけでなく、それを自らの手で、思いで、デザインして「ここ」に表そうとするのは、人間の素晴らしい力だ、と鶴岡さんはおっしゃいます。星。花。光。そして光は、いのち。天からさす光。この宇宙に宿っている光。それと、「ここ」にある光の間に、響き合いがあることの、至福。
人間は、境界を設けたがるいきものです。人間の世界。動物の世界。植物の世界。神の世界。故郷と異国。自分と他者。こことそこ。etc. etc. ・・・。それでいて、その境界を越えることを、希求するいきものでもあります。先日、「この世界は相対するエネルギーのバランスで成り立っている」というお話をしました。境界。それは、「繋がっていること」のもう一方ではないかな、と思います。夜の闇にこそ星の輝きを感じるように、境を越えてこそ繋がる悦びを感じるのです。繋がり、響き合い、ひとつになることの至福を、知るのです。

それぞれに、確かなフィールドを持ってらっしゃる御三方。それでいて、それぞれへのレスペクトをしっかりと持って、響き合いを楽しんでいらっしゃるようでした。
中沢さんの視点が、個人的には新鮮でおもしろかった。

阿修羅の香り
   エレミ 2滴
   シダーウッド・アトラス 2滴
   カモミール・ローマン 1滴

香り、といえば、たまたま鏡リュウジさんがお隣に座ってらっしゃったのですが、パチュリーの香りがしました。ちょっと、意外。
   
   
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by leaf-child0802 | 2009-05-17 15:54 | お出かけの記憶 | Comments(0)

都会の水辺の景色たち

「動物の赤ちゃん誕生!」のニュースが賑やかに聞こえてくる季節になりました。我が家の近くでも、カルガモのお母さんが、7羽の子ガモたちを育てています。
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場所は六本木ヒルズの毛利庭園。
あんまり近くには行けないのと、携帯のカメラで撮ったのと…もあって、彼女たちが水や草木や、石や土に馴染むことで身を護っていることを確認するような写真になってしまいました…。いつも行くスーパーの近くなので、3日ぐらいに渡ってトライしたのですが、野生の動物を撮るってやっぱり難しい…。
都会のど真ん中ですが、大事に手入れされた庭では、空気もぽっかりと、のんびりとしています。子ガモたちはすくすく育っているようで、泳ぎに自信がついてうれしいのか、安心しきっているのか、世界がおもしろくてしょうがないのか、それぞれに旺盛に動き回っています。7羽もいるので、みんなをひとりで見守るお母さんは大変!ですが、そのお役目にどこまでも忠実な姿は凛々しいくらいで、惚れ惚れしてしまいます。
それが種の保存の本能がそうさせる、一時の景色であったとしても、ほんとうに素敵な景色です。愛や信頼が裏切られない安心感が、充分にしっかりと、そこにはあるから。
その安心感は、生きていくことを、ずっと支えていきます。だからわたしたちは、母と子の姿からいつまでも、こんなにも心が離れないのでしょう。

安心感の香り
   マンダリン 1滴
   プチグレイン 2滴
   ローズウッド 2滴

この池では、スイレンもまた、素敵な景色をみせてくれています。
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モネっぽく撮ってみました。
モネは「光の画家」とも呼ばれていますが、太陽の光とともに水から咲き出でるスイレンは、「光」が生まれたことの象徴ともされた「光の花」なのです。暗い水に浮かんで開くその姿はたしかに奇跡のようで、忘れられない印象を、みるものに灯します。
   
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by leaf-child0802 | 2009-05-15 14:58 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

いのち永らえるということ

急に蒸し暑くなったせいか、蕁麻疹が出てしまい、病院に行きました。
その道すがらのギャラリーで、素敵な展示をやっていたので、ご紹介します。

「天然木とシルクの織物 boisette 6人展」
西麻布のGallery le bainにて。来週の金曜日(22日)までやっているそうです。

木材を薄く薄くスライスしたものを、ウレタン樹脂などで補強してから糸状にした「木の糸」。これを横糸に、シルクなどを縦糸にして織られた「木の布」。お洗濯はちょっとムリだろうなあ…という感じなので、椅子の張り地だとか、ランプシェードだとか、用途は限られそうですが、美しい木目模様をちゃんと留めている、つややかな布に仕上がっていました。そしてギャラリーは、木のいい香りに、充ちていました。

入口にある大きなシェードは、屋久杉で作られたものなのだそうです。倒れて朽ちていくものを「再生」したのだとか。
朽ちていくのも、木のさだめです。そうして滋養に満ちたよい香りの土となって、またいのちを育んでいくのです。それはとても、美しい姿です。
けれど人間は、そのいのちの永遠の環の中から、時に何かをすくい出してきます。自分たちの「想い」をそこに宿し、留めるために。すくい出された何かは、「想い」の運び手の役割を負うことによって、いのちを「別のかたち」で得ます。そして大切にされることで、永く永く生きていくのです。そのいのちも、やっぱり美しいものです。

大切にされるものを、創ろう。大切にするために、創ろう。大切にしたいから、創ろう。
神様がこの世界を、いのちを創ったのも、そういう想いからだったような気が、しています。

大切に創られたものの香り
   サイプレス 1滴
   ベルガモット 3滴
   マートル 2滴

ギャラリーのすぐ近くで、オリーブの花が満開になっているのにも出会いました。
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モクセイ科のお花は、ビーズみたいでほんとに可愛い。
いのちの再生の象徴、とも呼ばれています。
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by leaf-child0802 | 2009-05-13 14:10 | お出かけの記憶 | Comments(0)