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ことの葉暦

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<   2009年 12月 ( 12 )   > この月の画像一覧

最後で最初の夜に際して

マジックアワーの大気に浮かぶ、十三夜の月と東京タワー。
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昨日の17時頃の光景です。
冬至から一週間と少し。日が長くなってきたことの実感が、はっきりとしてくる頃。
その実感と共に新年を迎えたいから、人々は一年の節目を、この頃に決めたのだ、ともいわれているそうです。
人にはそれぞれ、節目として格別に大事に過ごそうとする時があるけれど、これだけ皆が一斉にそうするのだから、新年を迎える、ということは、やっぱり格別中の格別、です。

一年の、最後の夜。
一年の、最初の夜と朝。
某TV番組の診断テストで、「超朝型」だった私。特にここ最近は、日付をまたいで起きている、ということが滅多にないのですが、そんな私でも、今回の年をまたいだ夜は、おちおち寝ていられなさそうなのです。
いつものように、
東京タワーの展望台に煌めく数字が、ひとつ大きくなるのを見届けること。
ビルの隙間から投げかけられる、朝の光を受けとめること。
それにもうひとつ、
満月を観ること。
・・・が、格別な夜と朝を格別にするためにやらなければいけないこと、に加わるからです。

2010年は、満月が注ぐ光の中で、始まります。
1月1日、午前4時を少し過ぎた頃、月は蟹座で、いっぱいに満ちます。

蟹座は、月の「本来の座」です。
繊細な月にとって、蟹座は自分のお家なのです。
意識しなくても、自分らしくいてしまう場所。
そのために、どこよりも、安心できる場所であってほしいところ。
大切に、守りたくなるところ。

満月、というのは、月が太陽の真向かい(180度)に来た瞬間、のことをいうので、太陽が山羊座にあるこの季節に満月になるなら、それは必ず蟹座で起こるものなのですが、その瞬間が今回は「1月1日」に巡って来る、というのは、なんだかとても特別な気がしてしまいますよね。
しかもさらにこの満月、月食なんです。
特別な気がせずにはいられません。

人は、「ここ」ではない「どこか」を目指すことによろこびを覚えることがあります。
けれども、「どこか」へ辿り着いた時、気付けば人は、どうしようもなく「ここ」を想っていたりもするのです。
「どこか」から「ここ」へ還れることに、さらなるよろこびを覚えたりも、するのです。

還れる、よろこび。
そのよろこびのある安心感は、どのような時にあっても、私たちを支えてくれます。
そのよろこびに支えられれば、私たちはどのようにも、心強くなれます。
そのよろこびのために、ほんとうに大切にしなければならないのは、何なのか…満月の光の中で、気付くことができるかも、しれないですね。

そんな風に始まる2010年。
その最初の満月から、最初の新月へと向かう2週間は、これまた特別になりそうです。
山羊座にいる太陽と金星の、ランデヴーがあるのです。
占星術の言葉だと、太陽と金星のコンジャンクション、と呼ばれるもので、だいたい1年半に一度の頻度で起こる現象なのですが、今回は、6日あたりから、10日間以上にも渡って、二つの星は、濃密な時間を過ごします。しかも同時に金星は、天秤座にいる土星と、「支配星交換」という、やはり強い結びつきを感じる関係にも、なっているのです。

そのいのちの「中心」であり、自分らしく生きるよろこびを示そうとする、太陽。
愛し、愛されるよろこびを愛そうとする、金星。
そして、ものごとのあるべきかたちを、大切にすることをまるで疎かにしない、土星。

愛。よろこび。あなたがほんとうに大切にしたい、何か。ほんとうに大切にしていきたい、誰か。
どうぞこの時期は、そんなものたちに、たくさん気持ちを注いでください。
生きてゆくあなたにとって大切なものが、しっかりとしたものに、なっていける時になるだろうという、感じがしていますから。

新年を祝福する星たちの香り
   カモミール・ローマン 1滴
   サンダルウッド 2滴
   ゼラニウム 1滴

今年最後の晩餐は、新年だけでなく満月を迎える、月の食卓になる予定です。
白ワインに、チーズと鶏肉(=白身のお肉)。レタスやキュウリやポテト。デザートは、クリームたっぷりのふわふわのロールケーキ…。
白と銀色の食器を使います。
そこに年越しそば…はちょっと合わない感じですが、こちらも縁起ものなので、しっかり頂いちゃうつもりです。

それではみなさま、今年一年、読んでくださってありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。



十二星座別メッセージはこちらへどうぞ。

2010年の香りをつくろう!
ワークショップスタイルのスペシャルメニューの詳細はこちらをご覧ください。
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by leaf-child0802 | 2009-12-31 14:51 | 星空のお話 | Comments(0)

No Man's Land

犬も歩けば、棒、ならぬ大使館、にあたるこの辺り。

いわゆる「G=great~」(G7とかG8とかG20とか)と呼ばれている国の大使館は、やっぱりさすがの門構えだったりして、見ごたえがあっておもしろいのですが。
そんなひとつ、フランス大使館の敷地の一部が売りに出されたのを機に、そこで取り壊しを待つばかりの古い庁舎が、practicalなアートの場として、その創造者と鑑賞者に開放される、というおもしろそうなイベントが、現在行われています。
題して「No Man's Land」。
芸術の都、を自負し、かつ個人の自由を高らかに謳い続けるフランスらしい企画だなあ…と思うのですが、こだわりを持ってつくられ、大事に使われてきた、古くて、しかも滅多に入ることができない類の建物に自由に入れる、というのは、それだけでもワクワクすることで、ちょっと探検みたいな気分で、覗きに行ってきました。
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↑エントランスからして、すでにこんな状態。「大使館」の、ちょっと偉そうで、厳重に守られていて、近寄り難い、といった本来のイメージとはかけ離れた、なんだか愛嬌があって、興味をそそる感じになっています。
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↑この辺りの広い敷地の大抵は、もともと大名のお屋敷だったので、お庭にはいい感じに歳月を重ねた樹がたくさんいます。
そんな中に、昇ったばかりの満月みたいに、忽然と現われた灯り。
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↑セキュリティのための造り、なのでしょうが、ちょっと日本的な意匠、にも見えてきます。
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↑かと思えば、屋上には、なんだかおどけたような、可愛らしいオブジェが…。



no man's land。どの人のものでもない場所。

どこの国の大使館もそうなのか、は分からないのですが、中は個室がズラリと並んだ造りになっていて、アーティストの各々が、それぞれに自分のスペースをがっちり確保できるみたいになっていました。
たくさんの部屋に、たくさんの世界が展開していて、その自由な百花繚乱ぶりは、たしかに「no man's land」っぽいのかなあ、とは思うのですけれど、その世界は、ひとつひとつがenvelopされているような感じもして、そういう意味では、そこは「○○(例えばアーティストAさん)'s land」な、気もします。

そこここに、例えば「~日の~時からここでパフォーマンスをするので、モノを置かないで!!」などの貼り紙があったりして、人間という生きものは、やっぱりその場所が誰のものなのか、ということに、拘らずにはいられないのかもしれません。

俗的な言い方をすれば、そこは、これからそこを再開発してコンドミニアムを建てる野村不動産のもの、で、しっかりその大きな広告が掲げられていたりもしていました。

この世界に共に生きるものたちの間には、距離、というものがどうしても必要とされます。
それぞれが、安らいでいるためのスペースを、たしかにするために。
自分たちがそんなに強くない、ということを知っているから。
たしかなスペースがあることを信じられている、ということが、怖れから自由であるために、平和であるために、やっぱり必要なのです。

多くの生きものが「テリトリー」という、それぞれのスペースを守る感覚を持っています。
中でも人間は、ただ互いがその感覚を持っていることを信じることだけでなく、他にもいろんなものに頼って、その場所が誰のものであるのか、を、たしかにしようと拘ります。
それは、人間が、自分たちがそんなに強くない、ということを、一番知っている生きものだからなのかもしれません。

けれど。
その場所が自分のものだと思うから、大切にする一方で、
人間は、その場所が自分のものでないと思うから大切にすることも、するのです。
そこには、敬意や尊重や慈しみの感覚が、きっとあるんだと思います。
その感覚を、大切にできるのであるならば。
世界はほんとうは、もっとずっと平和でいられるはずなんじゃないか、と、ふと、思いました。

平和なスペースの香り
   カモミール・ローマン 1滴
   プチグレイン 2滴
   レモン 2滴
   
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by leaf-child0802 | 2009-12-28 12:23 | お出かけの記憶 | Comments(0)

☆Merry Christmas☆

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↑コレは数年前に、ある友人がドイツのクリスマス市で買って来てくれたもの。
毎年この季節には、お部屋にほのかな光を添えてくれます。

今日はクリスマス。
昨日のイヴは、みなさんいかが過ごされましたか?
私は両親のところで、つい食べ過ぎてしまいました…。

クリスマスは、大切な人たちと過ごせることの幸せをしっかりと確かめられる、素敵な機会ですよね。
サンタさんの真実(?)を知ってから、指折り数えつつワクワク待ち望むものではなくなったけれど、素敵な日であることを信じ続けられるよろこびは、ずっと大切にしたいものです。

幸せをしっかりと確かめられた時の、心強さ。安らかさ。広やかさ。大らかさ。
優しくならずには、いられなくなれます。感謝せずには、いられなくなれます。

心の灯りに、スイッチを入れようと、決めているような日。
そうしよう、と決めたそもそもの理由が、誰かのお誕生日だから、というのは、とっても愛おしいことだと思います。
キリスト教徒でなくても、クリスマスがクリスマスたる理由を知らない人は、いないでしょう。
イエス・キリストのお誕生日。

クリスマスは、そもそもは冬至に関わるお祭りだった、とも考えられています。
ミトラスやサトゥルヌスといった、キリスト教が宗教としてのかたちをつくっていくことをしたローマの地で信仰されていた太陽神や農耕神のお祭りに由来するのだろう、と。
実際にイエス・キリストがこの日に生まれたのかどうかは、分からないのです。
けれども、みんながこの日を、彼のお誕生日だと思っていることが、この日を特別に大切にしたことは、確かです。

もちろん、イエス・キリストにみんながおめでとうを言うワケにはいっていないのだけれど。
その日をみんなが特別に大切に思ってくれていて、特別に大切に過ごしてくれていることを、イエス・キリストは、なんて幸せなことなんだろう、と思っているに違いありません。
そしてきっと、ありがとう、と心から思っているんじゃないかと思います。みんなが幸せでありますように、と心から思っているんじゃないかと思います。

他のどんな日よりも、お誕生日を特別に大切な日にするのは、そういう思いの交流、なのでしょう。
誰かが生まれた、ということ。
そのことについて、そこに共に生きるものたちみんなが、それぞれのありがとうを差し出す日。それぞれにありがとうを受けとる日。

そうして過ごすことに決めている日は、間違いなく、素敵な日だと、思うのでした。

クリスマスの香り
   マンダリン 1滴
   フランキンセンス 3滴
   ローズウッド 2滴 
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by leaf-child0802 | 2009-12-25 14:22 | 季節の言祝ぎ | Comments(0)

土星の環っかがある理由

今日は冬至です。

太古から、人々が大切によろこびをしるしてきた、お祭りの日。
北半球では、この日を境に、太陽のエネルギーが感触を日に日に増していきます。

一年で一番昼が短い日。
英語では、the winter solstice。「太陽が赤道からもっとも南に離れた時」。
そして、その時がやってくる日の正午の太陽の通り道が、南回帰線。英語では、the Tropic of Capricorn=磨羯宮(山羊座)の回帰線と呼びます。
この日に、太陽は山羊座に入るのです。

クリスマスに続いて、大みそか(New year's Eve)、新年の第一日目、そして日本なら七草に鏡開きに小正月(奈良なら若草山の山焼き)に…キリスト教の国なら十二日節(Epiphany=公現祭・マギたちの来拝の日です。)…人々が、感触を増してゆく日の光がよろこびをふつふつとさせてゆくのを感じながらも、新たになる時を敬うようにして心身を浄め、日々に礼を尽くして過ごす…山羊座の太陽の時とは、そんな風に過ごす時です。

そんな山羊座の守護星は、土星。
奇しくも銀座のギャラリーをハシゴしていた先日の二軒目は、土星をモチーフにした展示でした。

Thomas Ruffさんによる「cassini + zycles」@ギャラリー小柳。

ちょっと素っ気ないぐらいの空間で、凛としているような作品を観る。
そんな感じのこのギャラリーのセンスが私は好きで、時々訪れるのです。

元ちとせさんのアルバムのタイトル曲にもなっているcassiniとは、土星の月を発見した17世紀のイタリアの天文学者ジョヴァンニ・カッシーニのこと。
そして、彼にあやかって名付けられた土星探査機カッシーニ。打ち上げから12年経った今でも、しっかりと観測を続け、きっちりとデータを送り続けています。

今回展示されていた作品は、カッシーニが送ってくれた土星のかたちを基にしたグラフィックや写真でした。

zyclesとは、同心円に関する数学的な法則の何か、のようです。
数学については素人の私には、会場の片隅のカウンターにおかれていた数行の説明では、具体的にどんなものかの判別や想像は、イマイチ上手にできなかったのですが。
愛らしさや麗しさにどこか重さの気配も漂う、心持ち扁平になった球体が、ひとつひとつは繊細そうにさえみえる氷の環っかが幾重もの同心円となって厳然と、整然としているところに嵌っている、という土星の見事なかたちを眺めていると、「法則」や「秩序」というものが照らす美しさを、数学者も、天文学者や物理学者も、アーティストだって、想わずにはいられないだろうなあ…と感じます。

そんな風に「決まりごと」を厭うことなく、むしろ求めたり愛でたりする感じは、なんとも土星的です。

加えて今回の作品は、画面がどれも正方形=squareになっていました。
実はsquareという言葉は、とっても真面目できちんとしているね、といった感じでも使う言葉なんです。
これもとても、土星的。

昔は望遠鏡などなかったので、占星術を生み育てていた人たちは、土星があんなかたちをしていることは、知らなかったハズなのです。
今回の作家さんにしても、占星術の知識は、おそらくお持ちでなかったろうとは思うのだけれど。
自由に拡がるようでいて、見事な整合性をイメージの世界が示すことに気付くというのは、とても楽しくてうれしい驚きなのでした。

…ということで、今日の夕ご飯には、日本の冬至の「決まりごと」を愛でて、ちゃんとかぼちゃを食べることにしています。

そして今日の香り。
ゆず湯、とはいかなくても、温まるお風呂のための香りにしてみました。
ゆず湯が温まる、というのは、果皮に含まれる精油成分が身体をラップしたようになることで、湯冷めしにくくなる、ということなのだとか。なので、同様に果皮に豊富に精油成分が含まれる、柑橘系、たとえばみかんなどでも、しっかり温まることができるのだそうです。
加えて柑橘系の香りの多くには、心を明るく温める作用があります。

温まる香り
   オレンジ・スイート 1滴
   マンダリン 1滴
   マジョラム・スイート 2滴

大さじ山盛り一杯の自然塩とよく混ぜて、バスソルトの出来上がり。
ゆずの精油は常温保存ができないし、まだまだ稀少でお値段的にもお手軽とはいきませんが、もしお持ちでしたら、せっかくなのでそちらをぜひ。

ぽかぽかとやさしく温めてくれるものは、たいていが太陽や木星の香りになります。
この季節の寒さや暗さばかりをあんまりにも感じ過ぎてしまった時の、土星的なメランコリーを和らげてくれることでしょう。
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by leaf-child0802 | 2009-12-22 17:16 | 季節の言祝ぎ | Comments(0)

とてもとてもありがとう

見事に冬晴れの東京。
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↑昨日の14時頃の、銀座の空です。この日は用事がてらに銀座のギャラリーをハシゴしてきました。
間もなく冬至を迎えるこの頃は、「昼日中」という感じがするのは、ほんとうに束の間です。もう日の傾いている気配がしています。
夏だったら外に出るのをためらうような日盛りの時刻なのに。
でもこの季節感が、好きです。

写っているのは、和光や三越がある、「銀座といえば!」の交差点の一角を占めている、三愛ドリームセンター。
円柱形のビルでしかもガラス張り、というものでは、日本で一番、ぐらいに古いものみたいです。当時は、こんな風に円を描けるように緻密にガラスを曲面につくる、というのが難しかったらしいのですが、それをやってのけたのが、なんでも母方の親族だったとかなんとか…。
そんな話をきいていたので、通るたびになんとなく見上げたりはしていたものの、中に入ったことはなく、実は一番上の階にRICOHのフォトギャラリーがある、なんて知りませんでした。
そこが、この日の一軒目。菅原一剛さんの写真展がある、ということで、初めて入ってみました。

黒と白だけで彩られたスペースは、階段も、通路も、壁面も、円柱の中にいることを意識させられずにはいられないかたちを描いていて、外が見えないようになっていたせいもあってか、微かにくるくるとした眩暈さえ覚えました。
なんだか巻きとられたフィルムみたいな気分で、ちょっとおもしろい。

「dansa "とてもとてもありがとう"」
日本赤十字社の活動について伝えるための写真展、ということではあったのですが。
そこにあったのは、いかにも、な慈善活動の現場の光景の写真、ではなく、菅原さんらしい空や、樹や、獣たちや、子供たちの写真でした。
いつもみたいに、澄んだ写真でした。
空にも、樹にも、獣たちにも、子供たちにも、まるで同じに、触発、というものを期待していないような純粋な視線を通して、細やかに触れているみたいな写真。
そのあり方の等しさ、フェアな感じに、とても安心してしまいます。
澄んでいて、暖かな静けさがあって、そこは素敵なところに違いない、と思ってしまいます。
赤十字が活動しているぐらいだから、のほほんとしては生きていけないぐらいに、過酷なところなんだろうとは、思うのです。
でも、大切にしたくなる何かが、ちゃんとそこにはあるんだ、そんな健やかさや安らかさを、感じてしまう素敵な写真たちでした。

「dansa」とは、その写真たちが撮影されたケニアの言葉で、「ありがとう」の最大級、なのだそうです。
「彼らの笑顔と共に発せられた"最大級のありがとう"が、いつでも日常にある世界は、とてもすてきな世界なのだと思います。」
…と菅原さんはおっしゃっています。
感謝というのは、するもの、ではないのかもしれません。
しなければならないもの、ではないのかもしれません。
それは、してしまうもの、なのだろうと思います。
せずにはいられないもの、なのだろうと思います。
そのいのちから、湧きあがり、流れだすようにして、自然に発せられる「ありがとう」がめぐる世界は、きっと素敵だろうと思います。
そしてそれは、よろこびが、ちゃんと気付いてもらえる世界なのだろうと思います。
よろこびが、ちゃんと大切にしてもらえる世界なのだろうと、思います。

ありがとうの香り
   ローズウッド 2滴
   ベルガモット 2滴
   マンダリン 1滴

クリスマスは、自然にありがとうがいっぱいになる素敵な季節です。
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↑この季節に銀座といえば、なもののひとつ。ミキモトのクリスマスツリー。
このオーソドックスな感じが、けっこう私は好きなんですが、毎年、ここでの展示が終わった後に、どこかの施設にプレゼントされる、というのも、いい感じです。 
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by leaf-child0802 | 2009-12-18 16:45 | お出かけの記憶 | Comments(0)

明るい未来へ

すっかり冬らしくなってきました。

私が生まれ育った奈良には、「春日若宮おん祭り」というお祭りがあって、そのクライマックスのひとつでもある「お渡り式」を迎えると、「ああ、冬も本格的だなあ…。」という感じがするようになって、実際に初雪がちらついたりもします。
今もそうなのかは分かりませんが、私が子供だった頃は、毎年12月の17日・正午にスタートするお渡りの時代行列に間に合うように、この日、市立の小・中学校の授業は、2時間目とか3時間目には特別におしまいになっていたものでした。(ただ、私が通っていた国立の中学校は、残念ながらしっかり普段通りだったのですが…。)小学生でも中学年とか高学年になると子供だけで観に行くことが許されたので、それは子供たちにとってはちょっと冒険じみた特別な楽しみで、私も仲良しグループで、ワクワクと旧市街まで10分ほどだけれど電車に乗って、出かけたものでした。

明日は射手座で新月になります。
新月は、「さあ、ここからどこかへ!」と、新たな可能性へ向かって気持ちを解放するにはとてもよいタイミングだと感じさせてくれる月です。
そして、射手座は、冒険心に富んだ星座です。けれども射手座はその冒険を、勇気を示すためや、達成感や尊敬を得るためや、何かを持ち帰るためにするのではないのです。「この広い世界は、きっと素敵に違いない。」と信じて、純粋にその可能性をよろこびたいのです。経験することを楽しみたいのです。

そんな射手座の新月。
やらなければならないことでいっぱいになりがちの年末、ではありますが、新年という未だやって来ていないものの可能性を信じて、気持ちを解放してあげるといいかもしれませんね。
特に今回の新月は、やはりよりよい「未来」というものに想いを馳せることにエネルギーを注ぐ水瓶座に滞在している木星・海王星と、心地よい活気に満ちた関係になります。木星・海王星は、ともに「広がり」を感じさせるエネルギーを持っています。この世界の果てしなく素敵であることをよろこばしく思い、そのことを信じるものを、護ってあげよう、受け容れてあげようとしてくれる星たちです。その星たちがいてくれることで、わたしたちは世界の広がりを安心して楽しく思うことができるのです。
閉じこもっていては、もったいない時になると思います。
射手座は学びを広く深くすることを司どる星座でもありますから、実際に旅に出る、などの身体を伴った冒険だけでなく、心や魂の冒険もとてもよろこび、楽しみます。たとえば一冊の本の世界への冒険、でも、気持ちを解放させることができることと、思います。

その新月から月が満ちてゆくこの2週間ですが、まず愛と調和の星・金星がとても活発になりそうです。あなたの周りに、すぐそばにいる大切な人たちに、正直に気持ちを表現できる時期かもしれません。そしてその正直さは、真摯な、思い詰めたような感じではなく、もっと思いきりの良さがある、どこか大らかな感じなのだろうと思います。
そんな流れでクリスマスを迎える頃には、大切なことが、うわべだけではないことが、はっきりしてくるのではないかと思います。ほんとうでないことは、変わる時です。そうできるだけの力強い気持ちに、なれそうな時です。

この月が満ちるのは、日本では元旦の未明です。
新しい年へ向かって、ポジティブな気持ちで過ごせる2週間になると、いいですね。

未来へ楽しみに向かう月の香り
   オレンジ・スイート 2滴
   プチグレイン 2滴
   シダーウッド・ヴァージニア 1滴

十二星座別メッセージはこちらへどうぞ。
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by leaf-child0802 | 2009-12-15 14:09 | 星空のお話 | Comments(0)

リチャードの真実

先日観に行ったシェイクピア劇のもう少し詳しいお話を。

港区民にはうらやましい限りの、素敵なプレイハウス、世田谷パブリックシアターで上演された「国盗人」。
「リチャード三世」を、河合祥一郎さんが、野村萬斎さんの、そして日本人のために仕立て直されたもので、主演・演出はもちろん萬斎さん。

河合さんは、萬斎さんと共に、文字として読まれるものではなく、音として、言葉として人々の前で実際に唄われることで伝えられるものであるという本来のあり方を守りながらシェイクスピア劇を翻訳する、ということをされた方で、そうして最初に出来上った「ハムレット」は、すぐに蜷川幸雄さんにも採用されるなど、名訳になっています。
日本語独特のリズムや抑揚に極めて洗練された感覚をお持ちの萬斎さんが、何度も音読をされながらつくり上げていかれただけあって、音の響きや流れの美しさはもちろん、伝えようとされていることが、損なわれることなく、淀みなく伝わってくる、素晴らしい訳です。

今回の舞台はシェイクスピアという素材を大切に活かしながらも、加えて、日本人の心や身体の深いところに馴染んでいる能狂言のテイストを、センスよくたっぷり効かせて、翻訳、というよりむしろ翻案として新しいかたちに仕上げられていました。それがまた格別の美味しさでした。

日本でシェイクスピア、というと、楽しむためにはそれなりの知識が必要な、なんだか難しい高尚なモノ…というようなイメージを持たれてしまいがちですが、本来は、美しさやおもしろさや味わい深さを、美味しいものが素直に馴染んでくるように、するすると楽しめるものであったはずなのです。
イギリスでシェイクスピア劇を学ばれた萬斎さんは、そのことをとてもよく分かっていて、大切にされている方なんだな、と思います。能狂言を遊び心さえ感じるようにとり入れた今回の舞台も、オールメールキャストで上演された「ハムレット」も、一見斬新な印象ですが、それは決して奇をてらっているのではなく、シェイクスピア劇の本来のあり方へ、懐古ということではなくて、ちゃんとここにいながらも回帰していこう、とするものではないのかな、と感じます。

何度観ても気付きがあり、それが恣意的なものではなく普遍的なものに繋がっている気がちゃんとする、というのが、シェイクスピア劇の魅力のひとつではないかと思います。

今回の主人公は、国の王座を争う名家の三男、悪三郎=リチャード。
争いがひとつの終わりを迎え、兄が王座に着いたばかりの頃。
「美しいことがもてはやされる平和な時代に、自分のように醜いものは生きにくい。」と思う悪三郎は、その巧みな言葉を弄して兄たちや有力者たちを次々と陥れ、民をも欺くようにして、ついに王座を手に入れます。
けれども、自分は愛されるべき存在のはずがない…とどこかで怖れずにはいられない悪三郎は、右腕のはずの家臣にも、妻にも、猜疑心を抱かずにはいられなくなってしまい、やがては親しいものたちを全て殺してしまって、自らも破滅へと向かっていったのでした…。

けれども、この舞台を観ていて、ふと、思いました。
「はたしてリチャード=悪三郎は、ほんとうに醜かったのだろうか…?」

腕が曲がっている、とか、そういう描写は、たしかにされてはいるのですが。
声も、姿かたちも、立ち居振る舞いも、全てが洗練されて見事に美しい萬斎さんが演じられていたから、ということだけではなく。
彼の言葉が、あれほどの力を持って人々を動かしてしまう、というのは、ただそれが巧妙であったから、だけではないのではないだろうか…。
彼がそれだけの魅力を持った人物と、人々に映っていたからではないだろうか…。
そう思ったのです。

だとすると、彼を醜く、愛されるべき存在のはずはない、としているのは、他ならぬ彼自身、ということになります。
もしかしたらこの物語は、「シャドウ」に光をあてようとすることのなかった人の末路を描いた物語なのかもしれません。
「シャドウ」とは、心理学では「自分の無意識の中の影の部分」を表わす言葉です。どうしても苦手意識を持ってしまうこと。どうしても否定的に観てしまうこと。どうしても見ないことにしてしまうこと…。
その「影」から逃れたくて、人は時に必死なぐらいに光へと向かいます。けれども目がくらむほどになった光に思わず背を向けた時、人はそこに影が一層くっきりと暗くなって存在感を増していることに気付き、一層どうしようもない気持ちになったりもするのです。
「影」そのものに光をあてることでしか、「影」を和らげることは、きっとできないのです。

今回の舞台では、悪三郎の「影」、という役が、実際に大きな役割を担って、印象的に表現されていたのでした。

心理占星術でも、「シャドウ」の物語は、読み解いていくべきもののひとつになっています。
ホロスコープから「シャドウ」を描いていくには、いくつかのポイントがあるのですが、おそらくもっとも重要なのは、土星のあり方を考えていく、ということです。
それについては、心理占星術の大家リズ・グリーンの「サターン」など、本が書かれてしまうぐらいなので、ここでさらっとまとめる、なんてとてもとても…なんですが…。
なんとなく、悪三郎=リチャードの土星は、第12ハウスにあるような気がしました。その顕われ方のあまりに奥深く、宿命的な感じが。けれど第12ハウスにいる土星は「joy」なのです。光をあててあげることをしたなら、ちゃんと「魂の声をきき」、「バランスをとり戻そう」としたなら、その土星はよろこんで、よろこばしいかたちで働いてくれたはずなのです。

言葉の巧みさには目を見張るものがあったリチャード=悪三郎。もしかしたら彼の太陽や火星は、双子座にあったのかもしれません。そして土星が、とても緊張感のある、スクエア、といったかたちで、その星たちに関わっていたのかもしれません。スクエアは、だからこそそこに生まれる力があることに意識的になれる、というかたちでもあります。
いい王様に、なれたかもしれないのに。

弱さがあるから、人間なのです。強くあろうとして、間違ってしまうこともあるのが、人間なのです。
悪三郎=リチャードの最期の憐れさに、涙が出そうになりました。
シェイクスピア劇の主人公の中でも、悪役中の悪役、とされる彼だけれど。
必死で、懸命だったことを、責めることは誰にもできない、と思ったのでした。

土星に光をあてる香り
   サンダルウッド 2滴
   パルマローザ 1滴
   ベルガモット 3滴
   
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by leaf-child0802 | 2009-12-14 16:35 | お出かけの記憶 | Comments(0)

世界の色

母のリクエストで、六本木ミッドタウンのクリスマスイルミネーションを観に、お散歩に出かけてきました。
近所に住んでいるとかえって、わざわざ行くことをしないもの…。観に行ったのは、実は初めてです。
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↑ツリーに飾られていた、ツララみたいでとても素敵だったオーナメント。そのツララに映るのは、
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↑こんな光景でした。題して「スターライトガーデン」。
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ブルー、というのは、人間が最も好む色、なのだそうです。
空のブルー。
海のブルー。
幸せのブルー。
希望のブルー。
信頼のブルー。
空の彼方を眺めるように。海の彼方を眺めるように。
見果てぬものを望む、ということを、わたしたちはよろこべるように、できています。
そこにあるのは、怖れではなくて、信頼だから。
平和のブルー。
完全なる保護のブルー。
ブルーには、遠心的なエネルギーがあります。距離の感覚を覚えさせる色なのです。
「冷静」や「鎮静」や、時に「孤独」のブルー、とされることもあるけれど。
だからこそ、そこには平和の感覚が生まれます。
そして、ブルーの保護は、抱きしめるのではなく、見守るのです。

そんな素敵なブルー。わたしたちが大好きなブルー。共にありたいと望むブルー。
それでいて、人間の色彩認識の原始は、「白・黒・赤」なのだそうです。
光と闇。
そして、いのち。
それが、人間のそもそもの世界観でした。
レッドには、求心的なエネルギーがあります。「今、ここ」への、集中力。
レッドは、血の色です。
今、ここに、わたしたちの内に流れるもの。生きている証。いのちの源。それが流れ去ることは、すなわち死、でもあります。

先日、久しぶりにシェイクスピア劇を観賞しました。(厳密にいうと、シェイクスピアの翻案劇、ですが。)
人間の本質を正確に、それでいて見事に美しく表現したシェイクスピアが私はとても好きで、よく観に行くのですが、演出家が、美術担当者が変わっても、その舞台はたいてい、圧倒的に「白・黒・赤」で彩られていることに気付きます。(加わるのは、色というよりは光そのものである金と銀くらいです。)
それは、シェイクスピアの舞台で表現されているのが、「人間がいる、そこ」に集中した世界だからなのかもしれません。それを表現することを突き詰めていけば、色は原始の「白・黒・赤」へと収斂するのでしょう。

今回観たのは、「リチャード三世」の翻案劇だったのですが、「ハムレット」であれ、「マクベス」であれ。
そこにもし、ブルーがあったなら。
あんな惨劇も、悲劇も、起こることはないのかもしれませんね。

ブルーの香り
   ブルーサイプレス 3滴
   カモミール・ジャーマン 1滴
   オレンジスイート 2滴 
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by leaf-child0802 | 2009-12-11 14:22 | お出かけの記憶 | Comments(0)

人はなぜ唄うのか 後篇 言語

先日の朝崎さんのライブは、新しいCD(「阿母」)の発売記念、ということだったのですが、UAさん作詞のこの「阿母」という曲で初めて、朝崎さんは「日本語」・すなわち標準語と呼ばれているもので唄う、ということをされたのだとか。
それは素敵な歌詞だったのだけれど、いつもは奄美の、私にはまだ追うことのできない言語を使って唄われる朝崎さんの唄を、歌詞を追いながら聞く、というのは、新鮮で、でもなんだか少し緊張してしまうことでした。

語尾にそっと散りばめられた、小さな「ぃ」や「ぅ」や「ゅ」の音の余韻が優美な感じがする、奄美のシマことばで唄われるシマ唄。
一語一語を追う、というよりは、ただその「音」が響いてくるのを、そのゆらぎが浮かばせるものを、感じるに任せている…というのが、私のいつものシマ唄の楽しみ方。
頭を、ではなく、身体を、心を、もしかしたら魂を使ってきいている気がします。
それは、言語を理解するのではなく、音を、ことばを感じとる、という感じ。

そんな一方で、ものごころついた頃からピアノと一緒にいた私にとって、ピアノの音は、追うことのできる言語でもあるのです。

「絶対音感」というのは、音を言語化できる能力、なのだそうです。その楽器の世界で正確に通じ合えるように定められたかたちに、音を弁別できる能力、と言いかえることができるでしょうか。
それは、幼子が母国語を身につけていくのと似た感じで獲得されるものなのだそうで、そのために、幼児期の脳の特定の発達段階で訓練されないと、身につかないものでもあるようです。

「古畑任三郎」で、市村正親さん演じるある指揮者が、教え子を殺そうとした際、たしか部屋の水槽のモーター音が雨の音と奏でる不協和音に気が散ってしまい、耐えきれずモーターのコンセントを抜いて、そのままにしてしまったことから、犯人だと見抜かれてしまう、というお話がありました。
今回のライブでは、ピアノの他に、奄美の三味線や、雅楽器である笙や笛、筝も使われていたのですが、そういった楽器たちの音には、西洋音楽が定めたかたちには嵌りきらないものが数多含まれるので、件の指揮者さんみたいだったら、もしかしたら変な風に気になって、楽しむどころではなくなってしまうのかもしれません。
私の絶対音感は、そんな風に日常生活で不都合を感じるほどの繊細さではないので、そんな変則的な響き合いも、それはそれで楽しめるのですが、ただ、ピアノの音に関しては、やっぱりドはドと、ソはソと言っているようにしかきこえなかったりもします。なので、頭の中に譜面を描かずに、ただその音を感じる、ということをするのが、ちょっと難しく感じられることもあるのです。

けれど、朝崎さんの唄と引かれ合い、導かれ合って響いてくる高橋全さんのピアノを心地よく感じていた時、ふと、その音を言語として追っていない、頭に譜面を描くことをしていない自分に気付きました。
感情や、イマジネーションが、解放されていきました。

伝えたいことがあったから、それを正確に伝えたいから、人は音を、言語というシステムへと構築していきました。文字や譜面にして、書きとめて、手渡すことができるようにもしました。
けれど、音は、言語化されることで、窒息してしまうことがあるような、そんな風に思います。「象徴」であったものが、「記号」になってしまうことがあるような、そんな気がするのです。(「象徴」と「記号」について、以前少しお話したものはこちら。)
例えばケルトのドルイドや各地のシャーマンと呼ばれる人たちの術がそうですが、人は大切なことを伝えようとする時に、口承、というあり方にこだわることがあります。
奄美のシマ唄も、そのようにして伝えられてきたもののひとつでした。
身体に、心に、魂に。
音が引かれ合い、導き合い、響き合うこと。
そうしてそこに、いのちが呼吸を求めるように解放される、イマジネーションも、感情も、全てを大切に伝えていくためには、もしかしたら、窒息した言語では、十全に役目を果たせないということを、人々は知っていたのかもしれません。

ライブは後半になるほど、クライマックスの「六調」(奄美の宴のシメの定番で、皆で踊るための曲です。)に向けて賑やかになっていきましたが、そんな中で、響いて満ちた音の感触を反芻しながら、ひとり静かにそんなことを、考えていた夜でした。

ことばを伝える香り
   ティートリー 2滴
   ユーカリ・グロブルス 2滴
   レモン 1滴
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by leaf-child0802 | 2009-12-08 14:52 | 奄美のこと | Comments(0)

人はなぜ唄うのか 前篇 共振

「晴れたら空に豆まいて」
…おまじないみたいな、どこか牧歌的で、それでいてなんだか不思議な言葉。
実は、代官山にある、ライブハウスの名前です。

昨夜、朝崎郁恵さんのライブを観るために、行って来たところ。

奄美のシマ唄の根っこでメジャーの音楽シーンに立っている、というと、まっ先に思い浮かぶのは元ちとせさん、という方が多いかもしれませんが、初めにそうしてそこに立ち、花を咲かせたのは、おそらく朝崎さんなのではないかと思います。
その鮮烈な独自性は、シマ唄をアートとして印象づけるのに十分の、力強さです。

そんな朝崎さんのシマ唄を、メジャーな音楽シーンに浸透させる溶媒となったのは、ピアノの音でした。
ピアノにのせて、シマ唄を唄う、というスタイル…そのスタイルを朝崎さんと共に確立されたのが、先日ライブにお招きいただいた、というお話をした、The Nature Sound Orchestraのメンバーでもある、高橋全さんです。

朝崎さんのライブを初めて観たのは、奄美に通い始めて間もない、2年ほど前のことでした。
池上本門寺で行われた、大規模なライブ。なんだか疲れを覚えるくらいに、圧倒されて帰ってきたことを覚えています。
今では、その頃よりも少しずつ、奄美との関わりを深くしている私。
今なら、あの頃には気付けなかったことに、気付けるかもしれない…。
折しも、高橋さんが全面プロデュースというかたちでのライブが、数年ぶりである、ということで、思いきって行ってみることにしたのです。

木の質感たっぷりの、アジアンテイストで設えられたその空間は、数十人もリラックスしたらいっぱいになってしまうぐらいの広さでした。
フロア内は禁煙だったみたいで、お客さんたちは誰一人として煙草を吸うことなく、紙コップに入ったジンジャーエールやビールではなくて、ちゃんとグラスに注がれた黒糖焼酎なんかを、黒糖の蒸しケーキだとか、鶏飯(けいはん。奄美の代表的な郷土料理で、ほぐした鶏肉や、錦糸卵や、パパイヤのお漬物などをのっけたご飯に、鶏でとったお出汁をかけていただきます。)だとか、お豆のおつまみだとかと一緒に楽しんでいて、ちょっと誰かのお家みたいな、「ライブハウス」にしては奇妙なくらいの健やかさもある空間でした。
そんな中に登場された朝崎さんは、お客さんにお身内が多いみたいだったこともあってか、とても自然にリラックスされているように見えました。



シマ唄は、時代の趨勢に翻弄され、時に虐げられもしてきた奄美の人々が、辛い日々でも生きていくために、そんな日々の中でも生きている・生かされているよろこびを忘れないために、大切なことを伝えていくために唄ってきた唄だ、ときいてきました。
その一方で、シマ唄のそもそもは、神さまと交わるために唄われた「カミ唄」であった、というお話もききました。

人はなぜ唄うのか。人はなぜ、唄おうとしたのだろう。

ふと、池澤夏樹さんの小説「バビロンに行きて歌え」の主人公である、中東の戦地から逃れてきた兵士のことを思い出しました。
生き抜く、ということに、苦しいほど真っ向から向かい合ってきたその若者の歌声は、やがて多くの人たちの共感を得て、求められるようになっていきます。
彼のプロデュースを頼まれてそのデモテープをきいた人物は、その歌声を、「人に向かって歌いかけていない」と説明しました。
「誰も聞いていないことを承知の上で、歌っている」ことの、「哀切」。
母を亡くしたある青年は、そんな歌声をきくことで、「大きすぎる不当感に押しつぶされたことを認め、それでもちゃんとそこに立っている自分を確かめる」ことをします。

平均律に調律された楽器という道具が奏でる旋律ではなくて、まるで波のように、雨のようにきこえる高橋さんのピアノの音と、自然のままのようにして唄う朝崎さんの唄声。
それは、やはりまるで、人にきかせるために唄っているのではないように感じられました。
互いが互いをのせ、共にゆらいでいきます…。
時に、激しさを増すことも、荒れ狂うことも、あったとしても。
雨が、いつか必ず、地面に落ちるように。
川が、いつか必ず、海に注ぐように。
波が、いつか必ず、岸に寄せるように。
諭そうとするのでも、楽しませようとするのでもなく。
己の存在を、想いを、意思を示そうとするのでもなく。
ただ引かれ合い、導かれ合って、響いている。
そんな音たちの感触が、そこには満ちていったのです。

その感触に、共振しながら、ここにちゃんと立っている。

人は、なぜ、唄うのか。人はなぜ、唄おうとしたのだろう。
それは、もしかしたら、そんな風にして、ここにこうしているのだということを、確かめたかったからなのかもしれないな、と思いました。確かめたいからかもしれないな、と思いました。

共にゆらいでいく香り
   マジョラム・スイート 2滴
   クラリセージ 1滴
   ベルガモット 3滴

…そんな感じで、後篇に続きます。
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by leaf-child0802 | 2009-12-05 14:28 | 奄美のこと | Comments(0)