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ことの葉暦

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かなしや

あっという間に、ゴールデンウィーク…。
新芽たちも、赤ちゃんから、すっかりしっかりとした若者になっています。

歩待たないのが、時(クロノス)。

人にとっては、歩み続けることが、とても苦しく、難しく感じられることもある。
けれども、歩み続けなければ、
いくべきところへはいけない。
かえりたいところへはかえれない。

何があっても、確実に歩み続けるクロノスの姿を心に留めること。
苦難の中で、導きとなること、のように思います。

昨日は、震災から四十九日でした。
時を数える。
やらなければならないことを、忘れないでできるように…。
厳しいこと、であるかもしれないけれど、
生き続けるものたちにとって、
歩み続けるものたちにとって、
大切な智恵であるように、感じました。



四十九日。
大切なものを失った人にとっては、
短いような、長いような。
ただ、
時の流れが悲しみを、丸くなめらかに磨き上げるには、まだまだ
…きっとそうでしょう…。

「喜怒哀楽」
人の感情の基本的なものを、そんな風に表わしますが…。
「かなしみ」は、他の3つとちょっと違うような、そんな気がするのです。
ほんとうの「かなしみ」は、
他の3つとは比べものにならないくらいに、
「大切なもの」がある、ということに、
「愛するもの」がある、ということに、
とてもとても親密に結び付いている…そんな気がするのです。

「かなしい」…
「哀しい」と書きます。
「悲しい」と書きます。
そして、「愛しい」とも書きます。
悲しいことと、愛しいことは、同じ音・同じ響き、なのです。

「愛(かな)しい」…
辞書でひくと、
「”しみじみと、いとしい感じがする”の雅語的表現」
…と書いてありました。
例えば、古文の授業で、枕草子なんかで、習ったなあ…と思い出される方が、多いかもしれませんね。

奄美には、今もよく唄われているシマ唄に、
「行きゅんにゃ加那(かな)」という唄があります。
「愛しい人よ、行ってしまうのですか…?」
その「かなしみ」を、唄う唄です。
また、「なつかしゃかなしゃ」という言葉があります。
ほんとうに、心いっぱいに染み透るように、
懐かしくて愛おしい、という感情を、覚えること。



わたしたちが、どうしようもないくらいに「かなしく」なるのは、
「いとしい」と、どうしようもなく、感じられているからこそ。
それは、とても苦しいことかもしれない。
けれど、不幸せなことでは、決してない…そんな風に、思うのです。



「かなしゃ」の香り
   ベルガモット 2滴
   フランキンセンス 1滴
   サイプレス 1滴   
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by leaf-child0802 | 2011-04-29 11:44 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

Heal The World

「頑張ろう、日本。」
「繋がろう、日本。」
「ひとつになろう、日本。」
…などなど…をはじめとして、
たくさんの方が、苦しみの中にいるみんなのために、メッセージを送って(also贈って)おられますね。
とてもいいな、と思った、ひとつ。
 
 奪い合えばなくなるものも、
 分け合えば足り、
 譲り合えば余る。

Jリーグ鹿島アントラーズの、小笠原満男選手のメッセージ。



昨日、海王星が魚座に入宮しました。
魚座は、海王星の、「本来の座」。
長い旅(海王星の公転周期は、164.8年)をして、「ホーム」に還ってきたのです。
ほんとうの「らしさ」を、大いに発揮してくれることでしょう。

「想像力」
「手放し」
そして、「全体性の癒し」…
海王星の「らしさ」は、こういったキーワードで語られます。
なんだか、今とても必要とされていることたち、のような、気がします。

「自分」だけが大丈夫、であることの、むなしさ。
みんなが大丈夫、でなければ、ほんとうに安らかになんか、なれない、ということ。
…今回の地震で、たくさんの方が、強くそう感じられたのではないでしょうか。



「自分」…「自ら」を他から「分ける」こと。
そうして、育てたり、守ったり、抱えたり、抱いたりして、頑張ってきた。
私は。
でも、
もしかしたら、
いいえきっと、
あなたも。
…分からないけれど。解からないけれど。でも、そう想像できる。
想像が、至った時、
ふうっと、何かが解(ほど)ける。
留(とど)められていたものが、放たれていく。
踏み出せずにいた一歩が、踏み出される。
引き下がれずにいた一歩を、戻ることも、できる。

そうやって、「境」への意識を、果てしなく和らげていく…。
ひとつに、なるために。



海王星は、「最も純粋な愛」を表わす星だ、といわれます。
愛にも、いろんなかたちがある。
ひとつになるためにも、いろんなやり方がある。
ただ、「ホーム」に還った海王星は、きっと、どこまでも優しくあることを、怖れない。
どうして、そうあれるのか。
それは、信じているから、かもしれません。
どんな苦しみも、癒されることを。

ひとつの星座に13~14年ほど滞在する海王星は、
「時代の空気をつくる」星のひとつです。
この時代が、苦しみを癒す空気に満ちることを、願っています。



苦しみを癒す香り
   フランキンセンス 2滴
   ファー 1滴
   ラベンダー 1滴
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by leaf-child0802 | 2011-04-05 11:44 | 星空のお話 | Comments(0)

ショパンの調べ

冷たい雨が降っていた、日曜日の朝。
仕度をしながら、天気予報が観られないかとテレビをつけてみると・・・そこには、ブーニンがピアノを弾く姿が!
懐かしい!!(・・・と言ってしまってはいけないのでしょうか??今でももちろんご活躍されているのですから…。)
「題名のない音楽会」という番組でした。

彼のピアノが一大ブームとなるきっかけになった、1985年のショパンコンクールで優勝した時の演奏を、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。
今、25年を経てあらためて言葉にするのに、感触を確かめようとしても、ちゃんとできるぐらいに、まだ小学生だった私も、それを、はっきりと記憶に刻んでいたのでした。

コンクール、というと、緊張と集中のためか、苦しそうだったり、思いつめているみたいだったり・・・あんまり楽しそうじゃないなあ…この人たちはほんとうにピアノを弾くのが好きなのかなあ…と子供心に感じてしまうような光景がたいていそこには展開されていて、音楽が心を出入りするのに十分な呼吸ができないような、そんな気分で眺めていたものだったのですが。
天使が飛んでいるみたい・・・そんな圧倒的だけれど、やわらかな恍惚が、彼が弾くピアノには、感じられたのです。

当時の私のピアノの先生は、今思えばどうやら、赤毛のアンのように何かをやらかす、というまでではないにしても、感受性に委ねて想像に遊ぶことに夢中になってしまうところが多分にある、まだ小さくて未熟な私(ちなみに、感受性と想像力の星である海王星が、よろこびや創造的な自己表現へとエネルギーが向かう第5ハウスにいます。)に、甘いお酒のようなショパンを与えるのはちょっと危ないかも…と思っておられたらしく(海王星はアルコールと幻惑の星でもあります。)、もっと率直に健やかで、しっかりとして明瞭な美しさがある、古典派のモーツァルトやハイドンをたくさん弾くように、とされていたのですが。(先生ご自身は、リストの極めて技巧的な作品などを、好んで弾いてらっしゃいました。)
もっとショパンが弾きたい!・・・とねだったことを覚えています。

25年を経た容姿は、それなりに変わってはいたけれど、その音ですぐ、ブーニンだと分かりました。
やっぱり、魅入ってしまったのでした。

彼がショパンを愛する理由・・・それは、ショパンの曲を弾く時、指が感じるうっとりするような、素晴らしい心地よさにあるのだとか。
美しい、とか、心地よい、と感じ、魅かれることは、金星のエネルギーとかかわりが深いのですが、彼の金星は、きめ細やかな身体感覚を持つ乙女座にありました。
そんな金星が、それまであったものにとらわれない、変化を怖れない、どこかカリスマ的でさえあるほどの創造性を感じさせる、天王星と冥王星のコンビネーションに重なっています。彼の解釈が異端的、とも評されるのは、この星たちのパワフルさに理由がありそうですが、乙女座は、その繊細で器用な手先で、きちんと見事なものをつくろうと努力する星座でもあります。解釈は「異端的」でありながら、その演奏に、信頼するに足る整い方が感じられるのは、乙女座のエネルギーが活かされた、端整なテクニックあってこそ、なのかもしれません。
加えて、情熱の星・火星は、燦然と輝くことを使命のように思っている真夏の太陽のような獅子座にあり、芸術家の星とも呼ばれる海王星と、互いにとても意識的にならずにいられない関係になっています。彼の表現力のまばゆさ、ドラマティックさを、即座に思い描ける、星模様です。

昨日(2010年3月1日)は、ショパンの生誕二百年にあたるのだそうです。
ただ、ショパンのお誕生日については説がいくつかあるのだとか・・・。
そこで、そのいくつかの説について、ホロスコープを描いてみたのですが・・・。
やっぱり、1810年3月1日、が一番ふさわしい、というか、そうであったらお見事!・・・な感じでした。
その人の中心、であり、全てのエネルギーの源、である太陽と、美と調和の星・金星が、魚座で重なっています。魚座はその守護星である海王星と共に、心を震わせる芸術、中でも音楽とゆかりが深い星で、美の星・金星は、その許では「昂揚」する、とされています。
しかもそこに、人々を根底から揺さぶるような、とてもとても強いエネルギーを持った冥王星まで、重なっています。
情熱の星・火星は、自分の本来の居場所である牡羊座にいます。Wikipediaのショパンについての記事の中に、「新しい演奏技術の開拓に果敢に挑み」という一文があったのですが、十二星座の一番目であり、新しい地平へと果敢に向かっていく、勇気ある牡羊座にある火星のエネルギーが充実している様に、ぴったりです。
金星と火星は、共に恋愛に関わりのある星ですが、この二つの星がこんなにパワフル、というのは、ジョルジュ・サンドとの恋を大いなるモチベーションとした彼の生き方に、ふさわしい感じもします。
そしてこれらの星が、全て芸術家の星・海王星と、密接な関係を結んでいるのです。

音楽は、目に見えないエネルギーとか、波動、といったものを感じ、受け容れることを身近に楽しんでみるのに、とてもよい方法なのではないかと思います。星のエネルギーの感触を、イメージすることを助けてもくれそうです。
ホロスコープの情報というのは膨大なので、簡単にまとめる、というのはなかなか大変で、書きたいことはまだまだあるのに、すでに長くなってしまいました・・・。おりをみて、別の音楽家さんたちを観ることも、またやってみようかな、と思います。

ショパンの調べの香り
   イランイラン 1滴
   サンダルウッド 1滴
   ローズウッド 2滴
   フランキンセンス 2滴
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by leaf-child0802 | 2010-03-02 14:19 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

いのちあるモノ

昨夜の歌舞伎座。
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座席でお弁当を食べることも楽しみのひとつなので、歌舞伎を観に行くのはお昼をはさんだ時間にすることが多くて、宵闇の中の姿がこんなに素敵だなんて、今までちゃんと気付いていませんでした。
残念ながら昨夜は、歌舞伎を観に行ったのではなく、すぐ前にある東銀座の駅が、用事のあった場所に行くのに、一番便利だった・・・というだけだったのですが。
およそ風情はない地下鉄の構内から階段を上って抜け出した途端現れた、幽玄と言っていいくらいに艶やかな姿。そこに歌舞伎座があることは当然知っていて、思いがけなかったワケではまったくなかったはずなのに、思わず息をのんでしまいました。
そのまま通り過ぎてしまうにはあまりに惜しい気がして、撮ってみました。

ご存知の方も多いと思いますが、こんな素敵な歌舞伎座は、もうすぐ取り壊されてしまうのです。
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↑こんな掲示板が設置されていました。あと66日・・・。

建築の規準、とか、スケールとかモジュールといったものが、今とは違っていたんだな、と感じさせられてしまう狭さはあるし。
省エネ、の観点からは、優れているとは言えないのだろうし。
いろんなところに、最新の建物では感じることのない不便さが、あるのだろうし。
土地をもっと活用したい松竹の思惑もあるのだろうし。
・・・事情は、わかってはいるのですが、やっぱり惜しい!!

そもそも日本には、古い建物を人々が日常的にずっと使い続ける、という文化がありません。scrap+buildが、ずいぶんと気軽になされているような感じもします。
残念で、意外なことのようにも思います。とても洗練されたアニミズムの伝統があるのに・・・。

人形供養とか、針供養とか、筆供養とか・・・モノにもいのちがある。魂が宿っている。そんな風に自然に感じて、受け容れてきた日本人。
そして、モノのいのちとは、魂とは、すなわち人間の想いでもあります。
人間が、何かを大切に想うことのエネルギー。心の、意識の、エネルギー。

たくさんの人たちの思い入れを、ずっと受け続けている歌舞伎座。
そこに堆積した想いたちが、時の重みも加わることで変質し、美しい石のようになって、光っている。
そんな風にあるようになったものを、大切に磨いていくのでは、駄目なのかなあ…と思わずにはいられません。



歌舞伎を星で書く/描くなら・・・
人々の視線を集めて輝き、ドラマティックによろこびを提供する歌舞伎役者さんたちは、獅子座/太陽的。
かつ、想像の世界へと自らを明け渡しながら、人々を誘っていくには、魚座/海王星のエネルギーも欠かせません。
楽しみを通して教えもする、というところには、木星的なものを感じますが、伝統を重んじ、ほんものであるということに厳しい姿勢で臨んでいるところは、山羊座/土星的です。

歌舞伎の香り
   パイン 2滴
   ミルラ 1滴
   エレミ 2滴
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by leaf-child0802 | 2010-02-25 12:41 | 素敵なものたちのこと | Comments(0)

梅は咲いたか、桜はまだか

有栖川公園では、白梅が盛り。
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このかたち、好きです。
可憐でいて、しっかりしたところもあって。
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追うようにして、紅梅も咲き揃ってきました。
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空気はまだ冷たいけれど、冬の間、澄んだ中でずっと凛としてきた光は、少しずつよろこびを隠せなくなってきているようです。
樹々たちが、順々に目を覚まし始めている気配が、感じられるようになってきています。

バラ科でもあり、よい香りがして、愛らしい花をたくさんつける梅の樹は、やっぱり金星の樹、なのでしょう。
ただ、桃や桜に比べると、花は控え目な感じだし、幹や枝は、歳月に鍛えられた風情を醸しています。
とても身体によい実も、生るようになるまでには何年もかかるそうです。美味しく食べるにも、手間と時間をかけないといけません。
そういうところは、どことなく、土星っぽい。

やはり日本の春を感じるには欠かせない桜の樹も、美しい花をいっぱいにつけることから、金星の樹、と考えられます。(例えばカルペパー=17世紀イギリスのハーバリスト・占星術家の説。)
けれど私は、なんだか桜には、海王星っぽさを感じてしまうのです。
その狂おしいようにして咲いて散る花の、宿命に、陶酔しているような姿に。
そしてその美しさに、人々が耽溺している様に。
桜の樹の根元には、死んだものの身体が埋まっている・・・そしてその血を吸い上げて、その花はあの仄かな紅色に色づくのだ・・・というお話を、いつかきいた気がするのですが、そんな妄想を抱かせてしまうところも、なんとも海王星的です。



今年の梅の、一番の見頃までは、もうあとちょっと。
愛を語る人々の声が賑やかになる、ヴァレンタイン・デーの華やぎの頃になるのでしょう。
今年のヴァレンタインの頃は、星空でも、春を告げる花たちのような金星や海王星が、咲き誇るようにして、印象的な眺めをみせてくれます。

けれど、残念なことに、明日からしばらく東京を離れるのです・・・。
パソコンを使えない状況にもしばらくなるので、ちょっと早いのですが、ヴァレンタインの頃の星空についてのお話を、書いておくことにします。

今年のヴァレンタインは・・・
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by leaf-child0802 | 2010-02-09 16:14 | 星空のお話 | Comments(0)

Crossing

髪を切りました。どれぐらいぶりか思い出せないくらい、久しぶりのことです。
実を言うと、美容院が苦手なのです。
その最たる理由は、些細なおしゃべりがとても苦手なことにあります。

可能性は、大きくて広いものにしておく方が、いいだろうから。
…と、物心ついた後当分の間は、たいていの人は、苦手というものをなくするように、頑張ることをするものです。
けれどもある頃から、たいていの人は、苦手というものがあるままでいることを、認めることをするようになります。
先日、いくつかの「リターン」のお話をしましたが、たとえば、「サターン・リターン」=土星が生まれた時の位置に戻ってくる=30歳になる少し前あたり、なんかが、その「ある頃」になったりもするのではないでしょうか。
可能性を大きくて広いものにしておこうとするのではなくて、自分にほんとうにふさわしいものを、選びとることをするようになるのだと思います。
そして、選びとったものとは、覚悟を決めて付き合っていく。
自分らしさ、とは、そうしてしっかりとかたちになっていくような気がします。

まあ、美容院が苦手、をあるがままにしておく覚悟が、自分らしさをかたちにすることにとって、どれぐらい大切かと言うと、たいしたことはないのかもしれませんが、些細なおしゃべりが苦手な自分を、ずっと受け容れていく覚悟を決めたことは、大切なことだったように思っています。

幸い付き合いやすい髪質でもあるので、長くなった髪をひとつに結えておくスタイルで、過ごしていてあまり支障はないのです。(多分。)
そんな私が、どうして美容院に行こう、と思ったかというと…

「空ばかり見ていた」吉田篤弘

…を読んだから。

余計なことは、口にしない。
かつて志していたパントマイムの名残が、身のこなしに感じられる。
そんな、おそらく自由気ままな、流浪する床屋、ホクトにまつわる、「変則的な」連作小説。

ちょっと不思議ところがあるのに、ちゃんとこことも繋がっているような感じが、少しも不安でなくて、むしろ安心。
そんな心地よさがある吉田さんの書く世界で、
「しゃきしゃき、さくりさくり」
…と鋏が髪を切る音をきいていたら、無性に髪が切りたい気分になったのです。
(できることなら、ホクトさんに切ってもらいたい!)



吉田さんの本たちの一番好きなところは、ひとつひとつにそれぞれにあるように思える物語の世界たちが、繋がりを持っているところ。
それは、トールキン(「指輪物語」の作者)の本たちみたいな、歴史書の創造、とか、一大叙事詩、的な、研究書が出てしまう勢いの整合性で構築を試みたりしてます、というのではなく(←それはそれでまた大好きではあるんですが)、とてもさりげないかたちで、なんだけれど、世界たちが、ふと触れあったり、ふと交差したり、ふと混じりあったりする瞬間が、そこで起きるデジャヴやシンクロニシティーにも似た「ああ、そうだったよね。そうなんだね。」という感覚が、とても心地よいのです。

同時に存在する世界たち。
けれど、それらは決してparellelではなくて、実はきっと、そこここでcrossしている…。

時間軸というのは、ぴんと張られて、ではなくて、無造作に置かれた、糸みたいなかたちをしている。
それが、デジャヴの起こる理由だというお話を、きいたことがあります。
もしかしたらそれが、シンクロニシティーが起こる理由のひとつ、でもあるのかもしれません。

世界とか、時間軸とか。それは決して、脇目もふらない、みたいなものではなくて、きっともっと遊び心のあるもの、なのでしょう。
だから、思いがけないことも、怖くなくて、楽しい。
そんな風に、思っています。

交わる世界を楽しむ香り
   グレープフルーツ 2滴
   ペパーミント 1滴
   ローズマリー 1滴
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by leaf-child0802 | 2010-01-23 17:55 | 本棚 | Comments(0)

A Calm Day In Winter

唐突に暖かくなって、びっくりしましたね。
でも、目を覚まさずにはいられないくらいに、北風が大きな声を出しているなと思ったら、すっかり冬らしさが取り戻されました。
ほっとしています。
実は私、冬が好きなんです。
空気が冷たくなって、潔いくらいに澄んで、静かにさえなってくると、お星さまたちがいっそうきれいに見えるし。
日向がひたすらにうれしいし。
暑く湿った季節よりもずっと、くたくたにならずにたくさん歩けるし。

このあいだの日食の日になるのですが、ちょっと遠出をしてきました。
冬の鎌倉。
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冬ならではの、見事な晴れ渡りっぷり。

冬が好きで、静かなところが好きなので、お付き合いやお誘いで、ではなく、自主的にここを訪れるのは、たいてい冬になっています。
それでも、しんとしている、ということはまあ、まずないのだけれど、それでも他の季節よりは、落ち着いた心持ちで空や山や海を眺めていられます。

もっとも今回のお目当ては、散策、ではなく…

内藤礼「すべての動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」
@神奈川県立近代美術館 鎌倉

神奈川県立近代美術館は、建物にも一見の価値アリ、なんですが、
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↑表札からして、この趣。モダニズムが時を経て、古き佳き、といった薫りを漂わせるようになっているのが、いい感じです。
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↑建物自体は、鶴岡八幡宮の源平池の片隅に、半ば浮かぶみたいにして建っています。これは、木陰と水の気配が心地よいお庭の様子。
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↑鶴岡八幡宮の参道側から見ると、こんな感じ。

ちょっとひっそりとしていて、どちらかというとこじんまりしたこの美術館で行われた、インスタレーション。
これだけのためでも、思いきって遠出してよかった!!…と大満足。とても素敵でした。どの作品も、いつまでも眺めていられる気がするものばかりで、帰るタイミングを見出すのに、困ってしまったぐらい。

考えたり、感じたり、たっぷりとさせられてしまうのだけれど、心をざわつかされることが、少しもない。シンプルで、深く静かなのだけれど、それよりも何よりも、そこにちゃんととられている距離の感じの心地よさが、とても印象的でした。

仄暗さがあますところなくやわらかく充ちている、あたたかな展示室でのインスタレーションでは、わたしたちが展示ケースの中に入ることができるようになっていました。
「お、わたしも作品の一部になれるのね。」
鑑賞される気分ってどんなかな??・・・と、めったにない体験にワクワクしながら入れてもらうと…
ガラス越しに観る、わたしたちが普段いるありふれたところ、と思っている世界の方が、鑑賞されようとそこにある作品になっていたのでした。
世界の断絶と連続…それらがそこら中にあるのに、そのどれひとつも強引に迫ってきたりはしなくて、距離感はあまりに自然で、心地よくて、だからこそひそやかなくらいに静かで…。自然に感覚が、澄んでしまわずにいられなくなっていきました。

そんなあたたかな部屋から、透明が青みがかるみたいに冷たい空気の、外のスペースへ。
「ええと、どこかな??」
案内図を片手に、少し探すみたいにしないといけないくらいのさりげなさで置かれているのは…
あるバランスで水が満たしてある(かつてはジャムだとか、アンチョビなんかのペーストだとか、が入っていたと思しき)ガラスの小瓶とか。
細かで透明のガラスのビーズたちの、シンプルな規則性と、自然な不規則性が、光の反射を味わいのあるきらきらにしている連なりとか。(解れたDNAの糸みたい。)
日の光と風と、飽きることなく戯れている、限りなくニュートラルな色みのオーガンジーのリボンとか。
それらはほんとうに、さりげないのだけれど、それらがいることに気付くことで、この世界で、視点というものが、落ち着ける居場所を見付けられたような、そんな気分になりました。

時折そっと、という程度に風は吹くけれど、距離感を消失してしまうくらいに、どこもかしこもくっきりと青い空の日でした。静かで、安らいだ一日になりました。

静かで、安らいだ一日の香り
   ラベンダー 3滴
   マートル 2滴
   ミルラ 1滴

余談。
e0170845_1445458.jpg←恵比寿にある知人がやっているお店で最近購入した刺繍テープ。これの色違いが、なんと仄暗い展示室のインスタレーションに使われていました!(使われていたのは、アイボリー地にピンクの蝶々、でした。)
ただコレ、知人が自らヨーロッパで買い付けてきたデッドストックで、珍しいモノなんじゃないかと思うのです…。しかも、そのインスタレーションで使われていた他のテープやハギレたちも、いかにもその知人のお店にありそうなものばかり…。(つい、それらをひとつひとつ確かめることに夢中になりそうになりました。)
もしかして、そのお店で内藤さんもお買い物をしたのでは?!…と、ちょっとドキドキしてしまいました。
その知人は、今ヨーロッパに買い付けの旅に出ているそうです。帰ってきたら、話してみよう。
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by leaf-child0802 | 2010-01-22 14:23 | お出かけの記憶 | Comments(2)

世界の音律

昨日は、思いがけない素敵なことがありました。

先日このブログでジョー奥田さんの「AMAMI」というCDをご紹介しましたが、なんとご本人がその記事を読んでくださり、ちょうど六本木ヒルズでご自身が主催されるユニットのライブがあるということで、せっかく近くにいるのだから、とお招きをいただいたのです!

「こんなことって、あるんだなあ…。」
びっくりするのと、うれしいのとで、ちょっとばかり動転しながらも、もちろん、伺うことにしたのでした。

The Nature Sound Orchestra
ジョーさんの自然音に、藤井尚之さん(言わずと知れた、元チェッカーズ。その後のご活躍ももちろん、みなさんご存知のことでしょう。)のサックスと、高橋全さん(朝崎郁恵さんと共に、シマ唄をピアノで唄う、というスタイルを創りあげられた方です。)のピアノ…きっと素敵なライブになるに違いない、と、とても楽しみに出かけました。

場所は、六本木ヒルズの展望フロアの一角にあるMADO LOUNGE SPICE。

近所に住んでいることもあって、わざわざ訪れる、ということをしたことがないそのフロアから夜景を眺めたのは、昨夜が初めてだったように思います。
都心にいると、この街の果てはあまりに遠くて、辺りを埋め尽くしている人間が灯す煌々とした灯りは、地平線までをもあますところなくなぞっていました。
その上に拡がっているはずの夜空は、星影もなく奇妙なくらいに平らかで、ただひとつ、ラウンジの隅に腰掛けた私の目線のまっすぐ先に、木星が明るくくっきりと輝いていました。地平より、少しだけ空に近いところにいるせいか、この肉体を持ったままでも、そこへ行けるんじゃないか、と思ってしまえるくらいに、その輝きは、いつになく近しく、親しげにそこにあるように思えました。
現実感と、非現実感のバランスが、いつもとはまるで違うような、不思議な感覚が満ちてきます。ここにいる、という感覚を、いっそう注意深く意識しないといられないような、少しアンバランスな、バランス。

そんな不思議な空間に、ジョーさんが丹誠にとらえて、大切に運ばれた自然音が、注がれていきます。
波の音。雨の音。雷鳴。鳥の声。虫の声。空気の揺らぎ。水の揺らぎ。光の揺らぎ。耳を澄まさずにはいられない、愛おしい気配たちの感触。
そんなものたちへと、丁寧に差し出すように、委ねるように、音を手放していかれる藤井さんと高橋さん。
その音を大切に愛でようと、心をかけて静かに座っているお客さんたち。

そんなすぐそばを、煌びやかな都会の夜景を観るために展望フロアを訪れた人たちの、少し浮かれた無遠慮な気配が、途切れることなく通り過ぎていきます。
耳を澄ませているからこそ、いつになく、そこにある気配を、あまねく感じてしまうのです。

奄美から東京に帰って来ると、感覚をアジャストするのにいつも数日かかってしまいます。
東京では、shut outとはいかないまでも、色んなことをmaskして過ごしているのだなあ…と、思います。そうしないと、日々の恙無さを守れないような気持ちに、なってしまっているのだなあ…と、思います。

自然に生きる、ということについて、あらためて思いを深くします。

自然に生きるものたちは、居場所、というか、あり方、というか、世界の「律」のようなものを、自ずとわきまえているように思うのです。そして、どこかでそんな「律」のようなものが確かにあることを認められているから、たとえそれが人間の生活を時に脅かすようなものの気配であったのだとしても、わたしたちは、自然の音を「美しい」と、安心して、なんら抗うところなく思えるのだろうな、と思うのです。

そんな世界の音律に、心をかけていられるようでいたい、と思いました。そして自らの内にも、それを感じられるようでいたい、と思いました。
この世界が、ほんとうに心地よくあるように。
その音の響きが、美しく満ちるここであるように。

ジョー奥田さん、素敵な時間をありがとうございました。
そして奄美の神ぬ引き合わせに、感謝を。

世界の音律を感じる香り
   ローズマリー 2滴
   フランキンセンス 3滴
   パチュリ 1滴
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by leaf-child0802 | 2009-11-22 12:54 | 奄美のこと | Comments(0)

耳を澄ませば

さすがに暖房器具のお世話になり始めた、ここ数日。
ほこほこのお布団から離れがたくて、ついぐずぐずしてしまう私に、「早く起きなよ。」と言うみたいにして、オオガスタの新しい葉っぱが、ぴしぴしと小気味いい音をたてて、日に日にその身を解いています。
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オオガスタの葉っぱは、小さいのが芽吹いて大きくなっていくのではなくて、充分に大きく準備されたものがくるくる・きゅっきゅっと巻かれた状態で出てきて、解けて、開いていくんです。

「植物はものを言わない。」などと言いますが、一緒に暮らしていると、彼・彼女たちもなかなか音に満ちた存在であることを、感じます。

最近、こんなCDを手に入れました。
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ジョー奥田さんの「AMAMI」。
奄美の自然音を独自の手法でとらえてらっしゃる奥田さんの存在を知ったのは、2年ほど前に青山のスパイラルホールで行われたイベント。
最近になって、知人のブログで彼のCDがあることに気付き、Amazonで購入してみました。(クリックでモノが買える…というのには抵抗があったのですが、洋書を探すのにあまりに便利なので、抗しきれずにAmazonデビュー、してしまいました…。)

自然音、というと、素晴らしくさりげないBGMとして、とか、リラックスするためにかける、というイメージがありますが、このCDは、ちょっとそういう風には聴けないかも、という感じがしています。
むしろ、耳を澄ませてしまう感じです。

都会よりも自然がいっぱいのところの方が静かだ、というのは、ほんとうではありません。
自然の只中は、ふくよかな音に満ちています。
都会の喧騒は、なんと薄っぺらいことでしょう。
その薄っぺらさが心許なくて、人間は殊更に、賑やかにしようとするのかもしれないな、と思うのです。

先日、奄美を訪れていた時のこと。
私が滞在していたホテルは、ちょっとした高台にあったので、浜までには坂と階段を数分歩くほどの距離がありました。
その夜はあまりに星がきれいだったので、ほんとうに真っ暗な中で、波の音だけを聴きながら眺めたらさぞ素敵だろうと、部屋に備えられていた小さな懐中電灯を頼りに、ひとり浜までおりてみることにしたのです。
新月の夜の闇は想像を超える深さで、結局、視覚以外の感覚を頼りながら、なんとか浜にたどり着くことができました。
ほっとして星空を見上げ、その美しさへと自分の全ての感覚を開放した瞬間。
星の光、だけでなく、波の音、だけでなく、
あっという間に私の感覚は、そこにいることを懸命に語っている数多の音たちで、いのちの気配たちで、苦しいくらいにいっぱいになってしまったのです。
空ろなところなんて、少しもないくらいに、いっぱいに。
みんなが、抱きついてくるみたいで、ふと、帰れなくなる、と思いました。
歩数を覚えておかないと、ホテルへ戻る階段を見失いそうだったし、そういえばハブがいるかも、と我にかえり、早々に帰ることにしたのでした…。

初めて奄美を訪れた時、この島の気配は、まるで幼子のようだ、と思いました。懐こく纏わりついてくる、幼子みたいだ、と思いました。
秘めるということが出来ないみたいにして、他にあり方を知らないみたいにして、生きたいと言い、生かされたいと言っているみたいな、か弱さと、危うさと、潔さと、力強さに満ちた、いのちの気配を感じました。抱きしめたくなるような、愛おしさを感じました。
我が子を眺める母親は、きっとこんな気持ちになるのだろう、と思いました。生きたいと言うものを、生かしたいと思う、よろこびと、苦しさに満ちた気持ち。

そんな場所だったから、きっと自分が思うよりずっと、本能的、といっていいぐらいに、感覚を開放しきってしまったのだと思います。澄んだ底に届こうとするものを、受け容れようとしてしまったのだと思います。
それほどに無防備になることに、慣れていなかったので、あの浜での体験は、ちょっとこわいようでもありました。
でも、自然に生きることとは、そういう感じなのかもしれないな、とも思うのです。
いのちの気配に、いつだって耳を澄ませて、わたしたちが気付こうとしているのは、よろこびであるような、そんな気が、しています。

いのちの気配に耳を澄ます香り
   クラリセージ 2滴
   カモミール・ジャーマン 1滴
   マンダリン 2滴
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by leaf-child0802 | 2009-11-19 14:37 | 奄美のこと | Comments(0)

海王星の画家

ものすごく久しぶりに、渋谷に行って来ました。
人混みがとてもとても苦手な私にとって、渋谷は最も苦手とする街のひとつなのですが、それでも決死の覚悟で(?)出かけていくことがあるのです。

目的は、Bunkamura。

playhouseといった趣がとっても素敵なシアターコクーンも、アート好きには危険極まりない(=必ず何か欲しくなってしまう)bookshopも、駅前の喧騒を乗り越えて行くに十分値するのですが、一番のお気に入りは、ザ・ミュージアム。
シンプルに静かさに心を配って設えられた空間がうれしい美術館です。私の大好きな19世紀後半~20世紀初頭あたりのヨーロッパの美術(例えばアールヌーヴォー、ラファエル前派や象徴主義など)は得意なもののひとつらしくて、ちょっとばかりマニアックな、質の良い展示にここで何度も出会っています。

現在ベルギー幻想美術館を開催中。

大学時代の英語の先生は、「ベルギーにはカナダと同じぐらい有名人がいない。」と、どうやら皮肉らしいことを言っていました。(ちなみに彼はイギリス人。)
確かにその時とっさに思い浮かんだのは、エルキュール・ポワロとネロとパトラッシュ(・・・は犬だけど。もっとも「フランダースの犬」がこんなに有名なのは、日本でだけだそうです。)ぐらいではあったのですが、実はベルギーは、古くルネサンスの頃はフランドル絵画が栄えた地域の一部でもあったし、ヨーロッパを美術の多彩なムーヴメントが席巻していた19世紀末とそれに続く時代には、植民地資本による豊かさを背景にして前衛的な芸術が花開いていた地でもあったのです。

シュールレアリズムを代表する画家のひとりであるルネ・マグリットも、ベルギー人。
彼の描く、空っぽだからこそ原始の果てしないエネルギーのようなものを感じさせる美しい青い空は、私も好きです。
けれど、今回の一番のお目当ては、フェルナン・クノップフ。ベルギー象徴派を代表する画家のひとりです。

占星術も、「象徴」を扱うアルテのひとつです。
現代の、速さと物理的な量がむしろ重要視された情報社会では、文字や言葉や図像は、記号的なものになりがちです。「記号」とは、なにかを一対一に近い状態で明確に指し示し、表現するもの、といった感じです。
一方「象徴」(=シンボル)は、そこにこめられた世界の奥深さを、広大さを、イマジネーションにより希求させようとするもの、といった感じでしょうか。それに相対する時には、その世界で迷い、道を、己を失ってしまわないための知識や智恵が必要とされるところはありますが、イマジネーションの豊かさを堪能する経験を、私たちにもたらしてくれるものだと、私は思っています。

そのようなイマジネーション、特にそれが芸術と結びついている時、それは海王星のエネルギーであるとされます。
新たに惑星の存在が発見される時、その星のエネルギーは、その時代のエネルギーに強く共鳴していると言われますが、海王星が発見されたのは、1846年。象徴主義の先駆けともいわれるラファエル前派などが、花開き始めようとする時代です。

人々を幻想的なまでに深遠なイマジネーションの海へと誘うこの時代のアートの申し子たちの中でも、クノップフの作品はとりわけ、海王星的な美しさを醸しているように思います。
触れることができる気がしないぐらいに、淡く、儚いくらいに柔らかで、繊細な輪郭と色調。それでいて、眩暈がするように微細で精緻な描写・・・その絵の前に立つと、あっという間に浸され、のみ込まれ、それでいて少しの苦しさもなく、そこに心地よくたゆたっている感覚が、満ちてきます。
今回出展されていたのは、ほんの4点でしたが、何度も戻って観たりして、十分満たされて、帰ってきました。
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↑写真はやっぱり購入してしまった絵ハガキと、チケット。そして、クノップフの絵が表紙に使われている、ローデンバックの本を、一緒に撮ってみました。やはりベルギー象徴派を代表する作家であったローデンバックとクノップフは、互いにインスパイアしあって、いくつかの作品を残しています。

海王星のエネルギーは、使い方を間違えると耽溺や中毒に陥ってしまいますが、リラックスさせ、流れを浄化し、感じることを洗練させてくれるパワフルな癒しの力を持っています。
来年には、幸せの星・木星が、海王星を守護星とする魚座に入っていきます。
例えば、海に行く。
アクティブにはしゃぐのではなく、波の音や、潮風や、水の気配に、身を委ね、感覚を浸してみる。・・・とか。
そんな海王星を感じる休日も、時にはオススメです。

海王星の休日の香り
   ローズウッド 2滴
   フランキンセンス 2滴
   ラベンダー 2滴

最後におまけ。
久しぶりに、渋谷から表参道の方へと歩いてみたのですが、あの辺りは、メインの通りを少しでも外れると、行き止まりだらけで、散歩には実はちょっと不向きなのです。
分かっていながら、散歩気分で、気まぐれに道を曲がってみたりしていたら、案の定行き止まり・・・。
でも、あれま・・・と思いながら振り向くと、雲の向こうからめったにない鮮烈さで、日の光がさしていました。
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行き止まりでよかった!振り向かせてくれてありがとう!・・・と思いながら写真を撮っていたら、通りかかった、いかにもあの辺りで遊んでいそうなちょっと派手な感じの男の子が、つられて空を見上げ、「あ、空キレイ!」…と、立ち止まってやっぱり写真を撮っていました。
そういう連鎖って、いいですよね。
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by leaf-child0802 | 2009-10-15 14:32 | お出かけの記憶 | Comments(0)